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猫猫事件帳 新章 その伍

 

 刑事になるのは、怪盗になるよりも大変だった。
 それもそうだ、怪盗なんてお膳立てしてもらったようなものだから、最初から必要だったのはほとんど覚悟だけだった。
 たまに、刑事よりも怪盗の方が向いていたんじゃないかと頭をよぎる。そっちの方が、好きなことができて楽しい人生だったんじゃないかと。
 まあ、そんなことを考えても仕方がない。壱川遵は渡された捜査資料を読むふりをしながら、先日のことを考えていた。
 東雲宵一の情報を欲しがっている奴がいる。そいつが一体どこの誰かは全くわからないと来た。個人的な恨みや因縁、もしくは壱川と似たような立場の人間。可能性はいくらでもある。
 壱川の仕事は事件を解決に導くため、調べることだ。それは間違いなく、怪盗たちを逮捕することとイコールである。だが、せめてそこに行き着くまでに、できるだけ多くの人間が傷付かなければいい。壱川が願うのは、ただ、それだけなのだ。
「壱川君じゃないか、久しぶりだね」
 声をかけられて壱川は顔を上げた。見知った顔に思わず頬付をついていた手を行儀良く正す。
「お久しぶりですね、本当に。お元気でしたか?」
 穏やかな微笑みを浮かべている中高年の男性は、壱川がまだ駆け出しの時に署内でお世話になった人物だ。歳もかなり上だし、今となっては現場に出ないから会うこともあまりない。
「勿論。君も元気そうでよかったよ。私はもう老体だからな、若い者が元気だと安心する」
「よしてください、十分まだまだ若いでしょう」
 出会った時から穏やかな人だった。反面厳しい部分もあるが、そこを上手く使い分けられる人物だ。人望も厚く、多くの人に慕われている印象がある。特に壱川は目をかけてもらっていたように思うが、本当のところはどうかわからない。
「そういえば」
 資料を閉じて、壱川が立ち上がる。
「息子さん、元気ですか? もう今は大学生くらいでしたっけ」
「ちょうど今大学生だよ。大学からは一人暮らしになったから、なかなか会えなくて寂しいね」
「はは、まあ男なんてみんないつかは巣立って行きますからね」
 近くに置かれている自動販売機の前に立ち、何を飲もうか考えながら口を動かす。コーヒーか、たまには知り合いの女性の好みに合わせて紅茶でも飲んでみようかと。
 考えていると男性がそばまで来て、先に小銭を入れてしまった。
「いいんですか」
「私が若い子らにできるのなんてこれくらいだからね。むしろ、ただの缶コーヒーで申し訳ないよ」
「いえいえ、嬉しいです。こういうことで頑張ろうと思えますから、俺」
 結局ブラックコーヒーを選択して、ありがたくいただくことにする。
「それじゃあ私はこれで。久しぶりに顔が見えたもんだから、つい声をかけてしまったが……邪魔して悪かったね」
「とんでもない、またよかったら飯でも行きましょう、深海さん」
 深海と呼ばれた男は、壱川に微笑んで去っていく。
「……俺もああいうオジサンになりたいよなあ」
 独り言を呟きながら、壱川はコーヒーを口に含んだ。件の東雲の話を聞いた時も、思ってはいたことだ。
 漢字さえ変えれば、どこにでもいる名前のはずだ。そもそも、そのなんでも屋とやらが本名を名乗っているかもわからない。
 こんな言い訳をするくらいなら、本人に聞けばよかったのだ。だが、声にならなかった。それは先輩への好意と敬意でもあり、単純にーーー……
「……別に珍しい苗字じゃないよな?」
 良くない予感が、してしまっていたからだ。

 

 猫猫事件帳 新章

 


「オイほら、なんか言うことあんだろ」
「迷惑をかけたようですまなかった、改めて深海京佑だ」
「オレが浅野大洋!いやほんとに悪かった!!」
 この通り!と言って浅野の頭がテーブルに勢いよくぶつかった。痛くないのだろうかと思わず心配になるが、とりあえず反応に困る。
 宮山紅葉は唖然としていた。唐突に木野宮から告げられてファミレスに行くと、東雲と明乃がいたからというのもある。それとは別に、見知らぬ男性が二人いたことも、その二人がどうやら件の書類を渡してきたなんでも屋らしいということも。
「いえ……間違いは誰にでもあることなので」
「お前なあ!一回襲撃されてんだぞ!? ちゃんと詫び入れさせろ詫びィ!」
「きのみちゃん今日は何にする? 私ねーえっとねーこっちのチーズケーキのセットにしようかな? あ、そういえばね大洋さんがすっごくケーキ作るの上手で、本当にお店みたいに美味しくて、今まで食べたショートケーキの中でいっちばんおいしかったんだよお!」
「おいおい照れるぜ!よかったら今度好きなケーキ作ってやるよ、なんならシュークリームもアイスもなんでも作れるぞ!」
「シュークリーム!シュークリーム食べたい!」
「私も!私もーー!!」
 はしゃぐ一同を見ながら、東雲は肩を落とす。結局いつもこの調子に巻き込まれるのだと言いたげだった。
「まあ、お前らも迷惑かけられてるだろうし、つーか保護者のお前が一番迷惑しただろうからな。しっかり詫び入れろって言ったんだよ」
「そんな、お構いしてくれなくても」
「いや、普通怒ったり不安になったりするよな!? 俺がおかしいのか!?」
「まあ、ほら、明乃ちゃんがいてくれたおかげで無事だったわけだし……むしろ、怪我とかありませんでしたか?」
「あーーー!!まあそうなるよなあーー!!そりゃそうだなあ!!」
 ひとしきり大声を出して頭を掻きむしった後、諦めたのか東雲は大人しくなった。ストローを咥えてつまらなさそうにオレンジジュースをすすっている。
「それにしても本当に人違いだったとは」
「依頼主から来た情報が、チェックの帽子に白いワイシャツだけだったんだ。まあそれだけあれば十分だと思っていたんだが……」
 深海が木野宮を見る。
「すみません、知らない人から物を受け取らないように教育しておきます」
「いや、俺のミスに巻き込んで悪かった」
 宮山は内心、ほっとしていた。どうやら抜けているところはあるが常識人らしい。とても仲良くできそうだ。
「それで結局、その依頼主ってのを捕まえるのを手伝うって条件にはなったんだが、思いのほか情報がなくてな」
「あれからメールを送ったが返事はない。まあ、こんな職業だから疑われたのかもな」
「わかってんのはそいつが明乃じゃなくて俺のことを探してるってことだけだ。今んとこほぼ手詰まり状態だよ」
 浅野が明乃と木野宮に、スマホに入った自作のお菓子フォルダを見せている。それを横目に見ながら、宮山は他人事のようにはあ、と言った。
 正直、自分が突っ込める領分での話ではなさそうだというのが感想だ。宮山も面白そうなことに首は突っ込みたいが、できることはあまりにも限られているだろう。それに、東雲自体がこの事件に関与されるのを嫌がりそうだ。
「もし、何か有力そうな情報があれば教えてくれ。別にわざわざ調べなくてもいいが」
「ま、そうだな。首突っ込めとは言わないが、たまたま聞いたとか見たとかそのレベルでいい、それっぽいこと知ったら教えてくれよ」
 連絡先交換すっか、と東雲が自身のスマホを取り出す。この人も染まり始めてるな、と思いながら宮山もスマホを出した。
「宵一さん、お友達できてよかったねえ」
「よかったですなあ」
「友達じゃねえよ!!ちゃんと立場考えて喋れ!!」
 連絡先交換するのはいいのか……という一同の空気に気付かぬまま、東雲は連絡先が表示されている画面を見せた。
「あの、よかったらなんですけど」
 ついでと言わんばかりに、宮山が深海の方にスマホを向ける。まあ、こんな職業では受け取ってもらえないだろうと思いつつ、半分好奇心でだ。
 しかし深海はあっさりとスマホを取り出し、宮山と連絡先を交換した。きっと仕事用のスマホか何かなのだろう、と宮山は勝手に納得する。
「今日の用はそれだけだ。お前もしっかり顔やらなんやら見といた方がいいかと思ってな。ま、お節介だったら悪かった」
 帰るぞ、と東雲は立ち上がる。だが、明乃は一向に立ち上がる気配がない。
「えーー!!もう帰っちゃうの宵一さん!今から大洋さんちでみんなでお菓子作ろうって話してたのに!!」
「シュークリーム作り大作戦!!」
「ちょうど生クリームも余ってるしなあ!買い物だけ先に行っちまうか!」
「宵一さんもシュークリーム好きでしょ!? ねえねえ一緒に行こうよお!」
「誰が行くか!お前もうちょっと危機感持てよ、そいつに殴られたんだろうが!!」
「えー殴られてはないもん」
「吹っ飛んだのオレの方だよ!?」
「お前最近反抗的になってきたな……」
 怒りの炎を背景にそう言うも、明乃の顔を見ると怒れる気がしない。
 木野宮と関わってからの明乃は、前よりも明るくなった気がする。遊びに行くたびにあんなに楽しそうに報告されては、むげにしづらいというものだ。
「……はあ、わかったよ。ただしカスタードも入れろよ」
「わーーい!やったねきのみちゃん!」
「今日はシュークリームパーティだ!!」
 深海は静かにコーヒーを飲み、宮山はぽかんとしている。
 まあ、東雲がこう言っているのであれば悪い人たちではないのだろう。
 思いながら、宮山はスマホに新しく登録された番号をじっと見つめた。


 * * *


「あーーー!今日は疲れた!」
 水守が大きく背伸びをすると、背中から大きな音が鳴った。本格的に背中や肩が凝っているらしい。日中はほとんどデスクワークをしていたから余計だ。
 冷めた紅茶を口に含みながら時間を見る。今日は疲れたしもう閉業にしてしまおう。それができるのが自営業のいいところだ、と水守は思う。
 事務所設立に向けてはほとんど壱川がやってくれたようなものだから大した苦労もしていない。今となっては慣れてきて、大抵のことは自分一人でできるから自由な時間も多い。
「会社に就職しなくてよかったって心から思うわ」
 そんなことを呟きながら、事務所の扉にかかってあるドアプレートを閉店に変えるため、扉に向かっていく。
 大抵は先にメールや電話がかかってくるが、たまに事務所を訪問してくる客もいるのだ。まあ、そんなことは滅多にないのだが。
「晩御飯何食べよっかなー、今日は絶対肉の気分―――……」
 ご機嫌な独り言を言いながら扉を開ける。そこでピタリと口が止まった。扉の目の前に、丁度今そのドアノブに手をかけようとしていたであろう初老の男性が立っていたからだ。独り言を聞かれたであろう恥ずかしさに襲われて、水守の顔が赤くなる。
「こ、こんにちは!今日は依頼ですか!? あれアタシ予約見逃してたっけ……」
「ああいえ、こちらこそ急にすみません。予約はしてないのですが、予約制でしたか?」
「あ、いや、予約なくても全然大丈夫です。よかったら入ってください」
 どうも、と柔和な笑みを浮かべた初老の男が、ドアをくぐる。タイミング悪いな、なんて考えながらも、水守はお茶を淹れた。
「紅茶飲めます? 無理なら緑茶もありますが」
「いえ、お気遣いなく。聞いてもらえたら、すぐ帰りますので」
「そうですか、あ、よかったらソファ座ってください」
 こういった初老の男が尋ねてくることは珍しくはない。大抵、探し物や探し人だ。それも、大昔の情報を頼りに人を探せなんていう無理難題だったりもする。水守は新しく淹れた紅茶を飲みながら、自分もソファに腰掛けた。
「うち、話聞くだけならお金はとらないので、どうぞ」
「ありがとうございます。実は人を探してほしくて……」
 ほら来た。水守は半ば嫌気が差していた。大抵、探している人物は死んでいたり遠くに引っ越していたりして、労力の割に報酬が少ない依頼だからだ。だが拒否しようとも思わない。人の手助けになれるのであれば、素晴らしいことだと思う。
「ただ、その人の情報はかなり少ないのです。だから、前払いと成果報酬で、二回にわけていただけると」
「わかりました、それで? 探してる人っていうのは」
「怪盗です」
 ギクリ。
 いや、なぜギクリとしなければいけないのか。
 ―――まあ、身近にあんなにいっぱいいるしな。
「聞いてくれますか」
 初老の男性は静かに語り始める。せめて知り合いじゃないことを祈って水守は聞いた。
「数年前になります、あれは、私の家に受け継がれていた鏡でした」
「鏡?」
「ええ、とても古い鏡です。代々、一族の嫁になる者に結婚の日に受け継がれてきた、大事なものです」
 悲しそうな声色だった。きっと大事にしていたのだろうと想像がつく。
「私は趣味で美術品なんかも集めていまして。狙われるのであればそっちだろうと思っていたのですが」
「鏡が盗られた、と」
「ええ、警察にも話したのですが行方はわからず、かなり深いところまで探したのですが売られているわけでもないようでした」
 男の雰囲気が変わる。それは、悲しみよりも怒りが先行した空気だった。
「半ば諦めていたのですが、最近になって、とある筋から鏡を所有している男を知っているとの情報がありまして」
「ちなみに、その情報はどこから?」
「それは言えません。まあ、詳しくは言えないだけで古い友人なのですが」
 男は高そうな革の鞄からメモを取り出した。どうやらその情報をまとめてくれているらしい。
「実は先日、別の情報筋からその男についての詳細が送られてくる予定だったのです。ですが、手違いなのか届かず、連絡もつかなくなってしまい……まあ、からかわれただけだったのかもしれませんが」
 どれどれ、と水守がメモを見る。そして最後まで読み切るよりも早く、その体は固まった。
 身長160CM程度・男
 黒髪
 容姿は若い
 目つきが悪い
 態度が大きい
 ……と、それだけで人を探せと言うのなら、なかなかに無理難題である。
「……これは」
 だが、こんな怪盗を水守は知っていた。よく知っていた。何ならこの前一緒にファミレスにいた。
 他人の空似もあり得るが、いやしかし、と何度も頭を回転させようとする。
「それだけでは難しいかもしれません、見つからなくても探していただいた分はお金を払います。どうか、どうか」
 別の情報筋からの詳細。届かなかった情報。
 総括してしまえば、今すぐにこの人に答えを伝えるのは簡単だ。
 水守は頭を抱えた。こんな話があってたまるものかと。
「……わかりました、とりあえず探してみます。お金の話は経過報告の時にしましょう」
 こんな偶然では済まないことが、世の中にはありふれているのかと。