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猫猫事件帖 とある探偵の追走編 その壱

 


「なんでこんなことになったんだっけ?」

 水守綾は冷や汗をかきながら呟いた。それはあまりにも純粋な疑問だ。彼女の予定では、今日はただの当たり前で日常的なよくある一日のはずだった。

「いやーほんと、なんでこうなったんだっけ!」

 浅野大洋は笑いながら答えた。彼自身、彼女の質問に答えられるわけがない。なぜなら彼もまた、当たり前で日常的なよくある一日を過ごすはずだったから。

「……なんていうか、巻き込まれることに慣れてきたって自覚が嫌でも湧いてくるわ」

 諦めに似た溜息。目の前に立ちはだかる複数人の男たちは、今にも水守と浅野に襲いかかりそうな雰囲気を放って彼女たちを睨み付けていた。

 緊張感が競り上がってくる。ひりついた空気で部屋がいっぱいになる。ここから無事に出るためには、目の前の男たちを倒すほかないだろう。

「話し合ってわかってくれる雰囲気でもなさそうね」

「まあ、仕方ねえさ!生きてりゃこういうこともある!」

「……ずいぶん落ち着いてるけど、浅野さんってもしかしてめちゃくちゃ強かったりするわけ?」

「お? どうだろうな、少なくとも明乃ちゃんにはボコボコにされたけどな!!」

 浅野が拳を握る。覚悟を決めたようにも見えないし、かと言って自信があるようにも見えない。本当にいつも通りの振る舞いだった。

 水守は彼が口にした人間のことを思い出した。超人的な怪力と身体能力。それはあまりにも人から外れすぎていて、正直なんの指標にもならない。

「まあ、こいつらに負けるほどではねえな」

 そう言ってから、浅野は前に踏み込んだ。

 彼が男の一人に拳を叩き込む音が響いて、水守は頭の片隅で思う。

 別に、非日常的なことは楽しいし、得をしているとも思う。実際、そういうことへの憧れがなかったわけではない。だから探偵になることを受け入れたに近しい。

 だからと言ってこんな、お祭りのような毎日を生きたかったわけでもないのだがーーー……

 


 猫猫事件帖  とある探偵の追走編

 

 

 初夏、某日。

 季節にしては珍しく晴れていたためか、外は思ったよりも暑かった。額に浮かんでくる汗を拭って、水守綾は思わずジャケットを脱ぐ。

「暑い……」

 思わず独り言が漏れるほどで、一度足を止めてどこかで涼みたいという考えが頭をよぎる。

 できれば喫茶店などに立ち寄って、十分でもいいから座りたい。涼しいところで、氷いっぱいの飲み物が飲みたい。

「アシュリーちゃーん、おーい、アシュリーちゃーん」

 乾いた喉から声を出しながら、水守は歩いた。右も左も確認して、なんなら足元も屋根の上も確認している。

 アシュリーというのは、猫の名前だ。真っ白な毛の、図太そうな顔をした猫。猫探しの依頼を受けた時はある種の感動すら覚えた。探偵といえば、猫探しか不倫現場の証拠写真。実際後者は何度か体験したことがあるものの、前者に限っていえば今回が初めてだった。

 それも、血統書付きの、水守よりいいご飯をもらっているような猫である。報酬の額も、不倫現場を差し押さえた何倍もある。

「おーい……」

 だから水守は張り切って猫を探していた。それもこの暑さでは、少しずつ体力も削られていくというものだが。

「おーい、アシュ……」

 まだいなくなって時間が経っていないから、とりあえず町内を探してくれと言われたものの、そんな簡単に見つかるわけが……

 と思った矢先である。真っ白な毛が横切ったのを確かに見た。それが猫であったかどうかはわからない。だが水守は反射的に走り始めた。猫を捕まえれば、今日のご飯はさぞいいものを食べられるだろう。

「あ、待って!ねえ!」

 大きい声を出さないこと。

 猫を探す際の注意点に書いていたというのに、それすら頭から吹き飛んでとにかく走っていた。

 他にも様々なところに依頼していると飼い主が言っていたから、早く見つけるに越したことはない。それに外はこんなに暑いのだ、猫が倒れてしまう前に、なんとか探さないと。

「待っ……」

 曲がり角で手を伸ばす。せめて姿の確認だけでも、と思った。だがそれは曲がり角の先に立っていた壁のような男によって、視界も動きも何もかもを奪われてしまう。

「ぶあ!!」

「あ?」

 誰かにぶつかった。水守は慌てて転ばないようにと踏ん張るが、相手の男はびくともしていない。

「おい、大丈夫か姉ちゃん」

「いてて……すいません、アタシの不注意で……」

 ぶつかった拍子にぶつけた鼻を押さえながら、水守は顔を上げた。自分より遥かに背の高い男がこちらの顔を覗き込んでいる。逆光で顔は見えないが、しかし毛の一つも生えていない頭に反射する太陽光に見覚えがあるような、ないような。

「あれ、水守さん?」

「あなたは……」

 先日、一度だけ会ったことがある。浅野大洋。図体がデカく、どこからどう見てもチンピラにしか見えない男は水守に眩しい笑顔を向けた。

「よおー!久しぶり!オレのこと覚えてる!?」

「浅野さん……だったっけ、ごめんなさい、ちょっと探し物してて」

「探し物?」

 東雲宵一の一件で、一度だけ現場で会ったのだ。確か何でも屋をしているとかいう、深海京佑という青年と行動を共にしているはずだ。だが、青年の姿は見えない。

「依頼で猫を追ってたの……ってそう!猫!見なかった!? 大きめで、毛が白くて長くて、あとふてぶてしい感じの!」

「ん?」

 浅野がポケットから何かを取り出す。それは一枚の写真だった。

「それって、こんな猫か?」

「え?」

 そしてその写真に映る猫は、水守も見覚えがあるーーー……というか、水守が探している猫そのものだった。

 


* * *

 


「なるほど、あの爺さんから同じ依頼を受けてたのか。ホイ、飲みなよ」

「ありがと。そういえば色んなところに頼んでるって言ってたわ……」

 浅野からペットボトルを受け取って、水守はそれを一度額に当てた。ひんやりとした冷気で少し体が楽になったように感じる。

「京佑……あ、前焼肉にいた奴な、背こんくらいの、いけすかねえ感じの男!アイツが依頼受けて、代わりにオレが探してんのよ。なんか別の仕事が入ったとかで」

「ああ……あの子ね」

 特に会話をしていたわけではないので詳しくは知らない。だが、随分と若そうには見えた。深海のことを思い出しながらキャップをひねる。

「何でも屋って猫探しとかもするのね」

「いやあ? あんまりこういうのはねえけどな。まあ、オレも仕事のことはあんまりよくわかってねえけど」

「仲間じゃないの?」

「んー? どっちかってえと用心棒? あ、家政婦の方が正しいか?」

 公園のベンチに座りながら、二人で空を見上げる。探すなら晴れのほうがいいとは言え、じっとしていても汗が滲んだ。

「彼……深海くんだっけ。結構若いように見えたけど」

「アイツまだ大学生だからな!そりゃーもう若えよ!」

 そんなことを教えていいのか……と、突っ込みそうになったが黙る。水守が聞いて損する話でもないだろう。

「でも頭がキレんのよ、オレと違ってな!まー馬鹿っつーか抜けてるとこもいっぱいあんだけど、ああいう奴が抜けてねーとむしろムカつくしな!」

「あー……まあ、わかるわ」

 思わず、ヒゲの生えた刑事の顔を思い出す。

「仲良いのね」

「水守さんのとこは仲良くねえのか?」

「アタシのとこ?」

「ほら、ヒゲの刑事の兄ちゃん。壱川さん!」

 ちょうどその男を思い出していたところだ。水守は苦い顔をしながら言葉を選んだ。

 仲が悪いわけではないだろう。よく外食をするし、一度大きな事件があってからは家に上がるようにもなった。

 だからと言ってビジネスパートナー以上の関係というわけでもないし、なんならまだ小さなわだかまりがあるようにすら感じる。

 水守はまだ許していないのだ。彼は様々なことを黙っていた。そして水守を利用しているくせに、甘ったれたことを並べて自己犠牲に走ろうとする。

 そういうところが、どうしても好きにはなれない。それこそ東雲宵一と明乃、もしくは木野宮と宮山のような信頼関係を築けていないことに対する言い訳ならたくさん思い浮かんだ。

「……仲良くないわね」

「へえ? 壱川さんは水守さんの話いっぱいしてたけどな」

「はあ? アイツが何話すって言うのよ、ていうかいつのまにそんな話したわけ?」

「焼肉行った時に連絡先交換したんだよ!んで、この前漢二人でサシ飲み行った!」

 ニカーッと笑いながら、浅野は手に持っていた水を飲み切った。

「ま、信頼とか仲の良さとかってのは難しく考えるもんじゃねえだろ? いつのまにかあるもんだ」

「……そういうものかしら」

「そういうもんだよ!」

 確かに、意外にも時間が解決しているように思う。前より自然に話せるようになったし、距離感も近くなったような。

「そうね、あんまり考えて解決することでもないわ。考えるのやーめた!」

「それでいいんじゃねえか? 結果は後からついてくるさ……っと、休憩もこの辺にして、猫探さねえとな」

「はあ、そうね、って言っても手がかりもないのに猫探せなんて結構な無茶振り……ん?」

 二人が立ち上がる。十分リフレッシュはできた。さあ、やるかと顔を上げた時に、それと目が合う。

 確かに目が合った。公園の真ん中、優雅に楽しそうに、それでいて呑気に散歩をしているーーー真っ白な毛の長い猫と。

「ああ!?」

「あ!コラ待っ……」

 手を伸ばすより速く猫が走り出す。思わず顔を見合わせるが、やはりあの猫で間違いない。

 ほとんど同時に二人は走り出した。ひたすらに猫を追って、その先に待ち構えているものなど知らぬまま。