猫猫置き場

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とある夜会の騒乱編 最終話

 

 

「……ちくしょう、ちくしょう……」

 一人で過ごすには広すぎる部屋の隅っこで、男のすすり泣く声が響いていた。
 いや、別に最初は良かったのだ。
 相棒のピンチに、知り合いの女子高生怪盗がついているというなら安心だろう。
 そのくらいの気持ちで、たまには一人でゆっくりカップラーメンでも食べようか、なんて胸を踊らせていた。

「くそう……オレもスマートな感じのイケメンだったら……!」

 しかし先程の連絡を受けてから、その気も失せてしまったのだから仕方ない。
 件の脅迫を受けて、深海が数日忙しそうにしていたのは知っている。
 運よくパーティーに行くための招待状を入手し、パートナーに従姉妹でもある少女を選んだことも。
 それだけなら、悔し涙など流さずに済んだのだが――

「水守さんと壱川さん……それにきのみちゃんに宮山さんまで!!ずりぃよお!!オレもパーティー行きてぇよお!」

 どうやら名前を上げた彼らも一緒に会場にいるらしいと知ったのは、先程深海からメッセージが届いたからだ。
 簡潔に彼らがいることと、協力を仰げそうだという内容だけだった。
 だが、あんまりにも楽しそうすぎる。
 パーティー会場で、しかも高級ホテルに潜入なんて、そんなのこの前観た映画みたいじゃないか!

「やっぱりスキンヘッドがよくねえ気がする……」

 勿論遊びではないと知ってはいるのだが。
 もし自分がスマートなイケメンだったら、あの場に紛れられたかもしれないとそんなことを思って、浅野は溢れた涙を拭った。

「いや、京佑のピンチなんだ、そんなこと言ってる場合じゃねえ……!オレにだってできることはあるはずだ!!」

 勢いよく立ち上がるも、リビングにいつもより声が響いていることに気付いてやはり落胆する。
 やっぱりイケメンだったら……いや、違う。オレにだってきっと道があるはずだ!

「そうだ!!高級ホテルってんなら、オレがマジで料理を極めてシェフにでもなれば潜入できるんじゃねえか!?うおおおお!!こうしちゃいられねえ!!!」

 男は立ち上がり、急いでキッチンへ向かった。
 趣味で買い揃えた料理雑誌やレシピ本を捲り、それから鍋に油を入れて火を点ける。

「待ってろ京佑!!!オレは今から誰にも負けねぇ料理人になる!!!」

 こうして、浅野大洋~三つ星シェフへの道のり~は始まった。
 そんな男の熱意ある叫びも知らず、この夜もどんどんと更けていく。

 

 

 

 

 

 

 

猫猫事件帖
とある夜会の騒乱編

 

 

 

 

 

 


「あそこにカードキーを通すみたいですね」
「そうだな、早く行くぞ」
「ついに潜入編!!ですな!!!」
「きのちゃん、声が大きい」
「いいから早く行こうよ、これがあれば入れるんでしょ?」

 彰の呆れたような声を合図にして、四人はロビーにあるエレベーターに乗り込んだ。
 それから次の階で降りて、カードキーをそれぞれ差し込んでいく。
 どうやらこのロビーでカードキーを差し込まなければ、ホテル階層に続くエレベーターには乗れないらしい。

 深海はいつも通り、木野宮は楽しそうに、彰はつまらなさそうに、宮山は――

「……おい、さっさと乗れ」
「は、はい、すいません……」

 きちんと自分用に用意してもらったカードキーだというのに、妙に手が震えて汗が出てくる。
 潜入だと思ってしまっているからか、こんなホテルに足を運んだことがないからかはわからない。
 周りを見ると平然とした顔しか並んでいないのが不思議なくらいだ。

「この階で降りて、それからVIP専用のエレベーターに乗る」
「っていうか、そのエレベーターには乗れるわけ?」
「あ、そういえばそうですよね」

 と、全員が深海に視線を集中させた。
 少なくとも、木野宮と宮山の分は通常ルームのカードキーだ。しかも、深海と彰の分は誰のものかすらわからない。

 不安そうに深海を見ていると、彼は少しだけ言いづらそうな顔をしてから告げた。

「……VIP専用のエレベーターにカードキーは必要ない」
「そうですか、じゃあこのままエレベーターを乗り換えてしまえば行けるんですね」
「いや、そういうわけでもない」
「……というと?」
「むむ、もしや暗号を解かないと動かないエレベーター!」
「いや、それはないだろうけど」

 すると、彰が「ああ」と腑に落ちたように手を叩いた。
 宮山と木野宮が首を傾げると、彰がこちらを向いてあっけらかんと答える。

「顔パスなんだ?」
「……そういうことだ」
「え、VIPの人は全員顔を覚えられてるということですか?」
「それくらい強い繋がりのある人間しか泊まれないんだろうな」
「……まさか、顔を変えられるマスクを使って……!?」
「まあ、それも東雲宵一に頼めばできそうなものだが」

 エレベーターが到着したので、全員で降りて廊下を進む。
 この奥に、更にVIPフロアへ繋がるエレベーターがあるはずだ。
 そのまま廊下を直進していくと、確かにわかりやすく豪華なエレベーターがそこにあった。
 ……ただし、両脇にスーツの大男二人を携えて。

「……で、どうするつもりなんです」
「いや、何も考えていない」
「とりあえず締め上げればいいじゃん、私なら三秒だよ?」
「おお、流石女子高生怪盗!頼りになりますなあ!」
「ふふ、まあねー」
「馬鹿言うな、こんなところで締め上げたらすぐに見つかる」

 ならどうやって、彼らをエレベーターから引き剥がせばいいのか。
 それも、ホテル側に感知されてはまずい。この後上階に上がって、件の部屋まで辿り着かなければいけないのだから大きな騒ぎを起こすわけにもいかない。
 唸りながら考えていると、キュピーンと何かが鳴った。

 振り返って、後ろにいる木野宮を見る。彼女の頭の上には、光り輝く電球が――

「つまり、警備員さんを引き剥がせばいいのですな!?」

 ――嫌な予感がする。

 と、思ったのは宮山と深海だけだったのだろう。彰はすでに楽しそうに笑っていて、止めるつもりなんてさらさらなさそうだ。

「待って木野宮、一体何を――」
「たのもーーーーーーう!!!」

 言うより早く手を掴んだほうが良かった。
 後悔をしてももう遅い。木野宮は走って二人の大男に突進してしまっている。
 仕方なく宮山も一緒に行くことにするが、念の為に深海と彰はその場に残った。

「足はお速いですかな!?わたしはこう見えてクラス一……いや!学校一速いですぞ!」
「なんだ?このガキ……」

 慌てて止めようとするも遅かったらしい。木野宮は男たちの前で、ふんぞり返るように腰に手をあてて高らかにそう言った。
 男は二人とも呆気に取られていたが、片方は特に訝しげな表情で小さな探偵を見ている。

「おいやめろ、どっかのお嬢様かもしれねえだろ」
「したがって!鬼ごっこでは負けなしなのです!ぜひとも勝負いたしましょう!!」

 そんな誘いに乗ってくれるわけがないだろう。
 彰も、深海も、宮山もそう思った。だから宮山はとりあえず作戦を練り直した方がいいだろうと木野宮の腕を掴む。このくらいならまだ、子供の冗談だと思って見過ごしてくれるはずだ。

「こら。すみません、この子冗談が好きで……」
「冗談じゃないですぞーー!!彼らの顔を見たまえみややまくん!まさに鬼のギョーソー!」
「失礼でしょ。あの人たちはもともとああいう顔なの」
「でもでも、立ってるだけで暇そうだし……」
「それが仕事なんだよ」
「えー!?立ってるだけでお金もらえるの!?いいなー!わたしもなりたい!!」
「ちょ、木野宮……」
「立つだけならわたしにもできますぞ!現に今!こうして立派に立っております!!」
「きのみ――」

 悪意ゼロ。だからこそタチが悪い。
 引きつった顔でゆっくりと顔を上げてみる。
 むろん、そこには怒りに満ちすぎている男二人の顔があった。

 浅野ほどではないとはいえ、こんな大男が並んで見下ろしてくる様は壮観だ。

「なんだこのガキ、さっきから舐めた口ばっかりききやがって……」
「およ?」
「こんだけ言われてんだ、ちょっと小突くくらいは許されるよなあ?」

 逃げなければ。
 宮山は早くもそう思うが、木野宮はそんな気持ちに微塵もならなかった――
 わけではないらしい。だが彼女の言う逃げるは、きっと宮山が思っている逃走とは全く違って――

「待てコラガキィ!!!!!」
「鬼ごっこだーーーーーーー!!!!!!」

 そんな楽しそうな声と共に、木野宮は宮山を連れて走り出した。
 その後ろを追いかける男二人が、廊下の端に消えていくのを見届けて――

「……行ったな、今のうちだ」

 深海と彰は、ようやくエレベーターに乗り込むことに成功した。

 

 

***

 


 エレベーターの中、未だに木野宮の様子を思い出して笑っている彰をよそに、深海は今後の算段を考えていた。
 部屋に件の脅迫者がいなければ一番いい。今もし会場にいるのだとしたら、わざわざパソコンまで持っていくことはないだろう。
 そうなればデータを抜き取れば話は早い。
 脅迫してきたのだから、逆にそれをネタにして脅し返してやればいい。

 ――いや、それだけだと不十分か。データを奪ったらその後は……

 どちらにせよ、もうすぐ肩の荷も下りる。
 その結末に、ようやく近付いてきた。
 エレベーターの扉が開いて、彰と共に廊下を歩く。部屋の番号は覚えていたので即座にスマートフォンを取り出して事前に設計しておいたアプリを起動した。ここなら人がいないから、自由に行動を起こすことができる。

 何か仕掛けがされているかと思っていたが、いとも簡単に扉は開いた。
 流石に直接潜入なんてしてくるとは思っていなかったのだろう。

「――見つけたぞ」

 そうして二人で部屋に入った後、テーブルの上に放置されているノートパソコンを見つけた。
 急いでUSBを差し込み、データを抜き取る。退屈そうにしている彰を横目に、まだかとずっとモニターを睨み続けた。

「思ったよりあっけなかったね」
「どこがだ、……俺はもう疲れた」
「もーっと派手なこと期待してたんだけどな。まあいっか、探偵さんが面白かったし」
「……随分気に入ってるんだな」
「うん、だって面白いでしょ」

 そんな他愛のない会話をしながら、USBにデータが移るのを待った。
 後はこれを持ち帰ればミッションコンプリートだ。ようやく肩の力も抜けてきた、とそんなことを思っていると、彰がとんとんと肩を軽く叩く。

「何だ?」
「京佑、足音」
「――!?」

 ね?と彰が焦る様子もなく扉を指差す。急いで扉の方を確認すると、まさに今カードキーを差し込んだのか、ピッという電子音が鳴ってドアノブが動いた。

「……隠れるぞ」
「はあ?」

 と、嫌そうな顔をする彰の腕を掴む。相手がどんな人間か、深海は全く知り得ない。
 電話した時の声からして男だろうが、相手も馬鹿ではないだろうから色々対策も練っているだろう。
 とにかく何をするにも相手の情報を掴んでからだ。そう思って彰の体を近場にあったクローゼットに押し込めた。

「……ちょっと、USBは?」
「…………置いてきた」
「馬鹿、それじゃ意味ないじゃん」

 自分の体を無理矢理ねじ込んで、なんとか息を整える。
 クローゼットに入った瞬間を目撃されてないかと不安になったが、どうやら部屋の主は気付いていないらしい。隙間から覗くと、パーティーを抜けてきたのかソファでくつろぎ始めた。

「っていうか狭い」
「我慢しろ、そのうち風呂に入るなり出ていくなりするだろ」
「それまで待てってこと?退屈だなあー」
「静かにしろ」

 慎重に部屋の様子を伺う。男は手に持ったスマートフォンをチェックしているようで、深海が持ち込んだUSBにはまだ気付いていない。

「っていうか、捕まえちゃったらいいじゃん」
「……お前、今日はいつもの格好じゃないだろ」
「ああ、マントのこと?大丈夫だよ、早着替えできるし」
「そういえばそうだったな」
「だから大丈夫だって、捕まえて脅したら一発だよ?」
「あの男が武器を持っていたらどうするつもりだ」
「締め上げてぐるぐる巻きにする」
「………………」
「まあ確かに、こういう狭い部屋だとちょっとやりづらかったりして。意外と難しいんだよ、あれ」
「……いいから、静かにしろ」

 深海の心配とはよそに、彰は自信満々な表情のままに小声で話した。
 どうしてこうも危機感がないのかと言いたくもなるが、今はそれどころでもない。

 戦うという手も勿論あるだろう。だが、そうならないのであれば一番いい。
 そう信じて、なんとか出ようと藻掻こうとする彰の頭を押さえつけるが――

「なんだ?これ」

 男が、ふと目に入ったUSBを抜き取った。
 深海が用意したものだから、すぐに自分のものではないと気付いてしまうだろう。
 
 ――バレた。

 だが、ここにいることまではバレていない。しかしこのままだと、あの男はパソコンもUSBも持って逃げてしまうかもしれない。
 さあ、どうする。こうなったらもう、彰に頼む方が早いだろうか。
 しかし同業者である男が、なんの準備もしていないとも思えない。危険に巻き込まれるなんて、この仕事をしているなら馬鹿でもわかることだ。
 深海にとって、武器は浅野大洋という人間だ。だがあの男は?
 刃物だったら、銃だったら?そんなことを考えながら、深海は慎重に動こうとした。――が。

「だから、捕まえちゃえばいいじゃん」

 決断を下すよりも、退屈になってしまった彰の方がずっと早い。
 彰がクローゼットの扉を勢いよく押す。すると深海の体は支えを失って、そのまま部屋の床に倒れ込んだ。
 一方で彰は、待ってましたと言わんばかりに指をパチンと鳴らした。

「なんだ!?お前ら!!!」

 男がそう叫ぶと同時に、彰のドレスがぐるりと舞って、瞬きの合間にいつものセーラー服とマントに変貌する。

「お前――」
「だってこっちの方が早いでしょ?それに、あのままじゃ退屈すぎて死んじゃうかもだし」
「何者だ!!……いや、待てよ、そっちの男は――」

 仕方ない、と深海が立ち上がる。こうなってしまっては何かされる前に本人を取り押さえるのが一番だろう。

「アンタが俺を脅迫した張本人だな?」
「ああ、お前が何でも屋か、会えて嬉しいよ。今日はあの筋肉野郎はいないのか?」
「あいにくな」

 筋肉野郎、と呼ばれた男が三つ星シェフを目指していることも知らず、深海は浅野の顔を思い出して目を伏せた。

「なるほどな。俺の商売データでも抜き取るつもりだったんだろ、それで逆に脅して商売続けようってか?」
「それだけじゃ足りないと言うなら、アンタの大事なデータは全部ネットにぶち撒ける」
「お前ができることなら俺もできる、そんなこともわからないのか?そうしたらお前のデータも同じ目にあわせてやるだけだ」
「……なら、アンタには警察に行ってもらうしかないな。それか――」

 痺れを切らした彰が、マントに手をかけた。

「痛い目を見てもらうかだ」

 同時にマントが広がり、男を包もうとする。得意げな顔の彰は、そのまま拳を握りしめてマントを収縮させようとした。
 これで終わりだ、深海も彰も、そう思っていたのだが――

「あーーーーー!!!」

 珍しく、彰が声を荒げた。確かにマントは収縮した、男を中心に波のように広がって、それから締め付けるために。
 だがいかんせん、ここは外ではない。マントを広げすぎたのか、力加減を間違えたのか。
 ――収縮していったマントは、ソファの端に引っかかってそれ以上動かなくなった。

「……!!」
「おい、待て!」

 その瞬間を男が見逃さない。手元にあったパソコンとUSBを引ったくるように抱えて、急いで部屋の外へと出ていく。
 深海が追いかけるために走り出すと、慌てて彰もマントを直してそれに続いた。

「だから言ったじゃん!こういう部屋だとやりづらいんだってば!」
「……俺は何も言ってない」
「だって京佑が退屈なことばっかりしようとするから!」
「だから、俺は何も言ってないだろ!」

 やけに広い廊下を走りながら男を追いかける。
 流石に見失うことはないだろうと思うも、きちんと鍛えているのか深海よりも俄然足が速い。

「警備員さん!不審者です!!取り押さえてください!!」

 そう叫んだのは男の方だった。偶然上階に上がってきたスーツの大男たちが、振り返ってこちらを見ている。

「彰!」
「わかってるってば!」

 こちらに向かって警備員二人が走ってきた。彰はそれを見て、深海より一歩先で廊下を蹴り上げる。
 今度こそ、と言わんばかりに宙を舞い、それから二人の後ろに立って――

「ぐあ!?」

 真横にマントを広げて、そのまま締め上げる。すると、男たちは廊下の真ん中で、引き寄せられた互いの頭を勢いよくぶつけ合って倒れ込んだ。

 それを横目に見ながら走り続ける。広いホテルだから、男も間取りなんて覚えていなかったのだろう。
 本当なら何度か廊下を曲がって、見失わせるつもりだった。直進だと追いつかれてしまうかもしれない。
 それからエレベーターで下に降りれば後は問題ない、とそんなことを思っていたのだが。

「――もう諦めろ、俺のデータは返してもらう」

 風が吹く。不運にも、男が行き着いた先はバルコニーだった。

「……嫌だね、お前みたいなのがいたら商売上がったりだ。諦めるのはお前の方だな」
「…………」
「お前、まだ21歳なんだって?世間知らずのガキがやっていい商売じゃねぇんだよ、こんなのは。今までよく痛い目にあわなかったものだ」

 こんなホテルの上層階だ、もう逃げ場などあるわけもない。
 だから深海は、にじり寄るように男にゆっくり近付いた。

「商売相手ならいくらでもいるだろう、アンタほどの腕があるなら」
「それがそうもいかねぇから言ってんだよ、最近妙に顧客が言うんだ。別のいい取引先を見つけたってな」
「…………」
「お前も、お前の相棒も相当優秀なんだろうよ。それがまた気に食わねぇ、でも優しいだろ?俺は引退してくれればそれでいいって言ってんだから」
「……そうだな」
「で、どうする気だ?俺のパソコンを奪っても変わらねぇぞ、バックアップなら取ってある。さっきも言ったが、お前がデータをぶち撒けるっていうなら俺も同じことをするだけだ」
「なら、お前がそうするより早くお前が持つデータを全部消す」
「馬鹿言うな!そんなことできるわけがない!!俺の家を調べられたか!?いいや痕跡なんて何も残っていなかったはずだ!!!」

 男が言う通り、深海のパソコンデータを覗いているほどデキる男なら、ありとあらゆる場所にバックアップを残しているだろう。
 そして男が降参しない限り、こんな脅しは何の意味もない。
 男は巧妙だった。今日この瞬間まで顔すらわからず、本命のパソコンがある自宅がどこに存在するかなんて突き止められるわけもない。
 だが――

「……ここからは相談なんだが」
「あ?」
「相談だ、命令でもないし強制でもない。優しいだろ」
「……………」

 敗北は一度だけでいい。少なくとも、自分の領域に関しては。
 だから深海は足を止めなかった。忘れられるはずもない、悪どい笑みを思い浮かべながら。

「二度と俺に関わるな。約束するならアンタのデータも顧客も、全部見逃してやる」
「笑わせるんじゃねえ!!!!」

 男が懐から何かを取り出した。やはり武器を持っていたか、と予想通りの動きに頭がどんどん冷静になる。
 銃口が、しっかりと深海の頭を狙っていた。
 この距離で外すわけもない。引き金を引かれたら、簡単に頭は吹っ飛んでしまうだろう。

「……交渉決裂だな」
「ははは、お前まだ勝てる気でいるのか!?底抜けの馬鹿だな、今はあのゴツい相棒もいないんだろ!?このままじゃお前、脳みそに穴開いて二度とキーボードなんて――ふぎゃ!!!?」

 男が唐突に悲鳴を上げる。
 と、同時にぐしゃり、と嫌な音がバルコニーに小さく響いた。

「よっと――あ?なんか踏んだか?」

 何故か上から。どうしてか上から。
 上から降ってきた足裏に踏み潰されて、男はあっけなく地面に倒れた。

「もう、宵一さん危ないからちゃんと捕まっててねって言ったのにー!!」
「ぐぎゃっ!!」

 そしてやっぱり上から。もう一度踏みつけられて、男は今度こそ意識を失った。
 なんてあっけない終わり方だろうか。
 余韻も何もなく、呆れたように肩を竦めて深海は沈黙する男に同情すらした。

「ってあれ!?ほんとだ踏んでる!!わーーーん!ごめんなさいごめんなさい!!」
「こんなところにいるやつが悪いから気にすんな。あ?つーかお前……」
「……アンタら、いつも急だな」
「あああああん!?人のこと働かせといてなんだその態度は!!」
「いや、誰も来てくれとは言ってないんだが」

 そう、呼んでないはずなのになぜか現れた影がふたつ。
 東雲宵一、そして明乃。その二人が、目の前で男をねじ伏せてしまっていた。

「京佑大丈夫ー?ってあれ、怪盗コンビじゃん」
「怪盗はお前もだろうが!!つーか何してんだお前!まさか件のジュエリーを狙って……」
「えー?もしかしてここに何かある感じ?じゃあせっかくだし持って帰っちゃおっかなー」
「ふざけんな!!アレは俺が先に目つけてたんだよ横取りなんて許さねえからな!!!」

 そんな怪盗たちの応酬を聞きながら、男が持っていたパソコンとUSBを回収する。
 これで一件落着だ、ようやく帰れると思いながら息を吸い込むと、やっと全身から力が抜けてきた。

「つーかお前!ちゃんと代金払えよ!言っとくけどタダ働きだけは絶対にしねぇからな!!」
「ああ、助かった」
「データはお前のとこに送ってあるから、後でチェックしろ。よし、行くぞ明乃!こんなところで遊んでる暇なんかねえんだよ!」
「あー!待ってよ宵一さん!あ、深海さんと彰ちゃんまたね!その人知り合いなら後で謝っておいてーー!!」

 と、嵐のように怪盗たちは去っていく。
 バルコニーに残された二人はお互いの顔を見合わせて、それからゆっくりとした足取りでバルコニーを後にした。

 


***

 

「……帰るか」
「もう用事終わったの?」
「ああ、ここに用はない。……それに、早く服を脱ぎたい」

 慣れないスーツで走ったからか、いつも以上に疲れがどっと押し寄せてきている。
 深海はため息を吐きながらネクタイを緩めて、いつも通りセーラー服を携えた少女を横目に「すべて終わった」と壱川たちに連絡を入れた。

「でもどうするの?ほら、あの男言ってたじゃん。脅しても意味なんかないんでしょ」
「そんなことはない」

 きっとスーツの男と、セーラー服にマントなんて格好じゃいつも以上に目立つだろう。
 それでもまだ仕事は残っている。深海は視線を気にせず、堂々と廊下を歩きながらロビーに向かった。

「クローゼットに隠れていた時、リアルタイムで東雲宵一に映像を送っていた」
「映像?」
「スマートウォッチだ。カメラがついてる」
「ふーん、それで?」
「あの男の本名も住所もすべて手に入った。――まあ、あの男が目覚めて家に帰る頃には、アイツのパソコンの中はもぬけの殻だな」

 これに関しては流石だ、としか言いようがない。
 後で何を要求されるかの一点だけが怖かったが、背に腹は代えられなかった。
 いくらバックアップをとっていたとしても、限度がある。特に自宅のパソコンなんてものにまで手をつけられたら、相手もたまったものじゃないだろう。そこから芋づる方式に、すべて明るみに出てしまうのだから。

「じゃあ一件落着なんだ」
「そういうことだ」
「っていうか意外だったなー、京佑ってこういうことがあったらすぐに手を引くのかと思ってた」
「……別に、大したことじゃない」
「そう?まあいいんだけどね、楽しかったし」

 ロビーにたどり着くと、パーティー会場から穏やかな音楽が流れ始める。
 どうやらダンスタイムとやらが始まったらしいが、深海は目もくれずに出口へと向かった。

「踊らないの?」

 そんな茶化すような声に少女と目を合わせる。
 もしかして踊りたいのかと思って真偽をはかろうとするが、その意味もないとすぐに気付く。
 彰は――とても満足そうな顔をしていた。彼女なりに、この騒乱を楽しめたのだろう。

「……パーティーはもうごめんだ」
「あはは、私も当分いいや」

 だから深海京佑と黒堂彰は、二人で家路についた。
 二人だけで騒乱を抜け出して、一足先に日常に帰るために。

 


***

 


「もしかして、探偵の水守さんですか?」
「…………」

 そんな男の声に、上機嫌に酒を飲んでいた水守綾は仏頂面に戻った。
 どうやら事件が終わったらしいと連絡を受け、戻ってきた宮山たちからカードキーを受け取り、お互いカードキーを返しに行こうと一度全員と別れてから早数十分――

 早くに例の既婚者を見つけた水守は、ありがとうとだけ言ってその場を去った。
 しかし、せっかくパーティーに来たのだから最大限まで楽しまなければ勿体ない気がして、バーカウンターまで戻ってきたのだ。

「今アタシプライベートだから、声かけないでもらえる?」
「それは失礼」

 そんなことを言いながら、男――壱川遵は隣の席に座った。
 彼もまた、借りた(と言いながら盗んだ)カードキーを返し終わったのだろう。

「そろそろやめといたら?」
「せっかくだから飲まないともったいないじゃない」
「……まあ、それもそうか。じゃあ俺も同じのを」

 こんな場に来ることは早々ないだろう。思って、壱川は今日だけは目を瞑ろうと自分も酒を飲むことにした。
 もう事件は終わったのだから、後の時間は楽しむことに集中していればいい。

「せっかくついでに、俺と踊ってみる?」
「……アンタ、ダンスなんてできるわけ?」
「いや、正直自信はないな」

 壱川と水守が、ホテルの上層部で何があったかなんて知るわけもない。
 だが、深海が彰と一緒に先に帰るというのだから、本当に解決してしまったのだろう。
 思ったようなスパイらしいことはできなかったが、水守はそれなりに満足していた。

 心地よい音楽が流れ始めて、体が揺れる。
 いつも以上に飲んでいるからか、気分がふわふわしていて気持ちがいい。

「いいわよ、踊ってあげても。高くつくけどね」
「……こういうのは普通、逆じゃないか?」

 こちらに向かって手を差し伸べてきた水守を見て、思わず笑ってしまう。
 だがまあ、彼女らしいといえばそうだから悪い気もしない。
 そう思って、壱川は彼女の手に自分の手を――

「何!?」
「ちょっと何よ、停電!?」
「おい、どうなってるんだ!」
「…………」
「………………」

 添えようとしたところで、お互いが固まってしまう。
 バツンと何かが切れる音、それと同時に会場全体が真っ暗闇に包まれた。

 更にその後、重なるようにして高笑いが響く。
 お互いが見合わせた顔は、そのまま呆れと苦笑いに変わって――

 仕事の時間だと同時に立ち上がると、水守綾と壱川遵は別の騒乱に向かって歩き始めた。

 

 

***

 

 

「……いいなあ」
「まだ言ってんのか」

 指を咥えながら会場を見下ろしている明乃は、羨ましいと言わんばかりの表情で足をぶらつかせた。
 美味しそうな料理、綺羅びやかなドレス。
 いや、綺羅びやかさでいうなら今日の明乃だって負けていないのだが。

「だって、ああいうところに混ざりたいんだもん」
「美味い飯が食いたいだけだろ」
「違うもん!パーティーがやりたいんだもん!!」
「これからもっとすごいパーティーやるのに何言ってんだ」

 東雲宵一は、準備が完了したと言わんばかりに立ち上がって、それから悪役として最高の笑みを浮かべる。
 狙いは、主催に送られるという国宝級のジュエリーだ。

 こんなどでかい会場なら、きっと大目立ちに違いない。
 そう思うと心の内側から漏れ出した笑いが次第に大きくなっていく。
 仕方ないと立ち上がった明乃も、ようやく心を切り替えたらしい。
 さあ仕事の時間だ。
 明乃は真下に見えるパーティー会場に向かって、一直線に舞い降りた。

 同時に停電。
 更にスポットライト。
 いいやそれだけじゃ終わらない。
 東雲は次々と用意したボタンを押し、キーボードを叩き、己のエンターテイメントを完遂させていく。

「俺は踊るんじゃなくて踊らせる側なんだよ!!ハーハッハッハッハ!!!」

 そんな高笑いと共に、会場は混乱に包みこまれた。
 とある刑事も、探偵も、パーティーの主催も参加者もすべてを巻き込んで。

 東雲宵一と明乃は今夜も、怪盗らしくこの街で騒乱を巻き起こす。

 

 

***

 


 それから数日が経って、綺羅びやかな会場など何もなかったかのように穏やかな日中。
 宮山紅葉は、ようやく訪れた平穏に安堵すら覚えながら一冊の本を読んでいた。

 あれから事の顛末を聞いたが、深海は脅迫者のデータをすべて洗い出し、ありとあらゆる手を使ってすべてのデータを消去したらしい。
 勿論深海から盗まれたデータだけではなく、男が今まで積み上げてきた仕事のデータも全部。

 意外と負けず嫌いなんだな、なんて感心しながら聞いていたが、きっと誰しも自分の領分では負けたくないと思うものなのだろう。

 ――それにしても、大変だった。

 あの後、木野宮に置いていかれる形で警備員に取り押さえられた宮山は、厳重注意を受ける形で長い時間拘束されていた。
 まあ、子供の悪戯ということで結局は許されたのだが、強面の男二人に怒られるなんてそうそうない経験だ。

 解放されてからは、カードキーだけを壱川たちに託して木野宮とすぐに帰宅することにした。
 木野宮はまだ遊びたいとダダをこねていたが、騒ぎを起こした以上変な疑いをかけられるのもよくないだろうと思ってのことだ。

 代わりに、帰ったらアイスクリームを三つ食べてもいいという約束で、ようやく木野宮も頷いてくれた。
 それから家に帰ってからすぐに眠りについたから、起きた頃にはすべて夢だったんじゃないかとすら思った。

「ただいまーーー!!!!」

 まるで映画のような世界だった。
 思えばパーティーなんて、木野宮がいなければ一生行く機会だってなかっただろう。
 そう思いながら顔を上げると、ちょうど学校から帰宅した木野宮が慌てたようにリビングに走ってくる。

「おかえり、きのちゃん」
「ねえねえみややまくん!聞いて聞いて!!今日はね宿題ないんだよ!!」

 言いながら、木野宮が鞄を放り投げて、慌ててリビングにある古いプレイヤーのボタンを押した。
 ところどころ雑音混じりの音楽が、少しだけ広くなったリビングに響き渡る。
 なんとパーティーの翌日、あの木野宮が、どれだけ言っても聞かなかった木野宮が自ら片付けてこうなったのだ。

 人は変わるものだ、これも成長のうちだろう。
 そんなことを考えていると、木野宮がほらほらと無理矢理手を引っ張って宮山を椅子から立ち上がらせる。

 あれから数日経ったのに、木野宮の熱は冷めないらしい。
 まあ、ここなら人目もないしいいだろう。
 宮山は木野宮に引っ張られるような形で、リビングの真ん中で不器用なダンスを踊った。

 下手くそな鼻歌混じりに、無茶苦茶なステップを踏んで、それでも心底楽しそうに。
 そんな顔をしているから、たまには踊るのも悪くない。
 
 木野宮きのみが飽きるまで、この事務所は当分彼女のダンスフロアだ。

 

 

 

 

 

とある夜会の騒乱編 弐

 


「社さんって、ダンスできる?」
「例のホテルの件ですか」
「…………」

 何も話していないはずなのに、すべて知っているかのような顔で微笑む影――常盤社は、一層不機嫌な顔になった黒堂彰を見て「これは失礼」と思ってもない言葉を口にした。

 話は数日前に遡る。
 珍しく従兄弟である深海京佑から連絡が来たと思ったら、あろうことかパーティーに誘われたのだ。
 一体どういう風の吹き回しかと思っていたら、どうにも深海の父親が彰のことを気にしているらしい。

 それを煩わしく思いながら、それでも彰は「別にいいけど」と不器用な返事をした。
 パーティー自体に興味があったわけではない。深海が話した事情が面白そうだったので、気まぐれにそう返事をしただけだ。

「練習なら付き合いますよ。貴女なら飲み込みが早いからすぐにできるでしょう」
「別に踊る気はないんだけど」
「でも、もしかしたら必要な場面が来るかもしれません。備えあれば憂いなしと言いますしね」

 と、常盤はそんなことを言いながら彰に手を差し伸べた。
 踊るには十分な広さがあるリビングを背に、まさか今から一緒に踊るつもりなのかと彼を睨みつける。

「それにしても珍しいこともあったものです」

 彰が渋々といった様子で手を取ったので、常盤は初歩的なステップを彰に教えた。
 そういえばこうやって彼女に何かを教えるのは久しぶりだと、そんなことを思うと穏やかな笑みも浮かんでくる。

「私がパーティーに行くのがそんなに不思議?」
「ええ、嫌いでしょう?ああいう集まりは」
「まあね。でも楽しそうだったから」
「貴女なら大丈夫ですよ、テーブルマナーだって教えたでしょう」
「……あれから使う機会ないんだけど」
「何事もいつか、知っていて良かったと思うものですよ」

 常盤のレッスンはものの数分で終わった。それもこれも彰の飲み込みが早いからだと常盤は言うが、きっとこの男が何か怪しげな洗脳でもしているに違いないとすら思う。

「貴女はどこに出しても恥ずかしくない淑女ですよ、自慢のね」
「貴方が誰に自慢するのか知らないけど、ウザいからやめて」

 そう言ってソファに座り直した彰を見て、やはり常盤は微笑むばかりだ。
 今更どんな罵詈雑言をぶつけたところでこの男にとっては意味がないと知っているはずなのに、彰はなんだか腹が立ってわざとらしく顔をそむけた。

「それで、踊りたい相手はどなたですか?」

 答えてやる義理もないと思って黙っていると、諦めたのか常盤が部屋から出ていく。
 別に踊りたいわけじゃない。踊るつもりもさらさらない。
 だが、踊らされるよりは踊るほうがずっとマシだろう。

 そんなことを思いながら、彰はパーティーに思いを馳せる。
 その会場で面白いことが繰り広げられることを夢に見て――

 少女はようやく、唇に小さな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 


猫猫事件帖
とある夜会の騒乱編

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうしてアンタらがいるんだ」
「俺達は普通に招待状をもらいまして。主催の方が木野宮――ああ、紀憲さんの方と知り合いなんだそうです」
「アタシたちは茶々入れに来てやったのよ、感謝しなさい」
「……こうして集まっていると目立つだろう」
「あら、もとから目立ってたじゃない」

 そう言われるとどうにも返答に困る。
 最初から想定しているべきだった、と隣にいる少女を見ると、彼女は嬉しそうに小さな探偵と手を握り合って笑っていた。

「彰ちゃん可愛い!世界で一番可愛い!!」
「ふふ、そういう探偵さんもすごく可愛い」
「ねえねえ、彰ちゃんってダンスできる!?後で一緒に踊ろうよ!」
「探偵さんとなら一緒に踊るのも悪くないかな、私が教えてあげる」
「いいの!?やったーーー!!」

 なんて気の抜けたやり取りをしているが、目立っているのは声がでかいからだけではないだろう。
 彰がこういった場に慣れていそうな雰囲気だったことには驚いたが、それでなくてもこの顔だ。おまけにドレスまで着ていれば、どこの令嬢かと疑いたくなるような風貌にもなる。

 父親はきっと、彼女が正しく生活できているか確認するつもり――もしくは単純に心配して声をかけろと言ってきたのだろうが、それにしたって人選ミスだと思って肩を落とした。
 これじゃ、あまりにも目立ちすぎる。

「まあまあ、俺達もできる限り手伝うから」
「それで、ちゃんと算段はついてるんでしょうね」
「いや――」
「まさか、ここから先ノープランなの?」
「……一応、計画自体はあるんだが」

 歯切れの悪い深海に対し、大人たちが首を傾げる。
 そもそも、件の犯人を突き止めるためにはホテルの上階に行かなくてはいけないはずだ。なぜ会場の方にいるのかと不思議に思い、宮山が尋ねた。

「もしかして、簡単には行けないんですか?」
「その通りだ、とりあえず俺達は上階を目指したい」

 彰に視線を向けると、気付いたのか面倒くさそうに口を開く。

「ここから上の階は普通のホテルルームなんだけど、更にその上のVIPルームにまで行かなきゃいけないんだってさー」
「VIPルームは流石に普通の客ではとれないようになっている。大方、同業者だと言うなら黒い繋がりでもあるんだろ」
「それで、どうやって行くつもりなんですか?」

 木野宮がらんらんと目を輝かせながら深海の顔を見た。多分、遊びか何かと勘違いしているのだろうとすぐに気付いたが、まあ咎める必要もない。

「とにかくここから上に行くにはカードキーが必要だ。宿泊者に渡されているものならなんでもいい」
「そういえば宿泊はできなかったの?最初から宿泊客として登録すればよかったじゃない」
「色々と審査が必要だったんだ、そこまではできなかった」
「なるほど、そのカードキーが手に入らなかったからここに来たわけだ」
「警備員もいる中、堂々とハッキングするわけにもいかないからな」
「ではでは!いざ!お宝探しならぬカードキー探しですな!!」
「って言ってもさー」

 全員が話している横で、つまらなさそうに髪をいじっていた彰が顔を上げる。
 それに対して深海が視線を逸らしたのは、彼女がこんなことに協力してくれるわけがないとわかっていたからだろう。

「そんな都合よく落ちてるわけないよね、誰かから盗むの?」
「………………」
「あ、わかったー。だから私のこと連れてきたんだ?」
「違う、それは父さんが――」
「……まあ確かに、彰ちゃんの言う通り都合よく落ちてるってことはありませんよね」

 宮山が床に目を向けて、目の届く範囲を探してみる。しかしそれらしいものは落ちていない、どころかゴミの一つすら見つけられずに視線を戻す。
 正直に言うと、彰の言う通り彼女がなんとかしてくれるのではないか、とは思っていた。
 ホテルにさえ入ってしまえば話は早いのだが、このカードキーを探す手立ては何もない。この少女なら簡単に誰かから盗むこともできるのでは、と考えていたものの、できるにせよできないにせよ「そんなつまらないことやりたくない」と断られるのが落ちだろう。
 そもそも、宿泊客を見極める手立てもないし、怪盗とはいえスリのような真似事もさせたくなかった。

 だから、ほぼぶっつけ本番だ。
 どうするかは着いてから考える、と言ったもののなんのプランもない。
 だから深海は多少の焦りを覚えてはいるのだが、これだけ人数が入ればどうにかなるだろうという気もしてくる。

「じゃあ、とりあえず一度解散して探してみようか。案外、落ちてるってのもあるかもしれないしな」
「そうね、ここでじっとしてるよりはいいんじゃない?誰かから借りられるかもよ」
「いやいや、さすがに無理でしょ」
「じゃあ俺と木野宮は今から宿泊できないか聞きに行ってみます」
「れっつごーーー!!」
「それじゃ、三十分後にここに集合しようか」
「……すまない、助かる」
「いいのよ別に、こういうのがしたくて来たんだし」

 考えている内に何をするかスムーズに決まって、それぞれが別の方向へと歩き出す。
 それを見ながら深海も彰に声をかけようとするが、彼女はすでに飽きてしまったのか隣にはいなかった。

「……俺も探すか」

 そう言って、深海は慣れないスーツを正してから会場を見渡した。
 まずはここを突破しないことには、目標の場所には辿り着けそうにもない。

 


***

 


「誰かから借りる、ねえ」

 と、独り言を呟いたのは壱川遵だ。とりあえず全員が行かなかった方向に足を向けてみたものの、収穫といった収穫はない。
 まず宿泊客が見分けられればいいのだが、全員がドレスやタキシードに身を包んでいるから難しいだろう。
 とは言っても、まさか本当に都合よくカードキーが落ちているわけもない。

 まさか本当にスパイ映画の真似事をさせられるとは。
 そんなことを思いながら、せっかくだしと手に持ったグラスに入ったシャンパンを飲んでからもう一度会場を見渡した。

 ――スパイ映画だったらこういう時、どうするんだろうな。

 怪盗とはまた違うだろうし、と余計なことを考えつつ、先日水守と一緒に観た映画を思い出す。
 ホテルではなかったが、たしか似たようなシーンがあったような。
 ああそうだあの映画だと、女スパイが富豪相手にハニートラップを……。

 ――一人で行かせるんじゃなかった……

 そこまで思い出して大きな後悔をした。
 まさか水守がハニートラップなんて器用な真似をできるとは思わないが、いかんせんここに来た理由だってあの映画を観たからだ。
 きっと今頃「本当にスパイみたい」と嬉しそうな顔で笑っていることだろう。
 時折見せる彼女の子供っぽさだって好きなのだが、いやしかし影響を受けてそんな真似事をされては困る。

 ――やっぱり一度戻ろうかな、収穫もないだろうし。宮山さんたちが泊まれたらラッキーだけど……

 と、そう考えていたところで胸元に小さな衝撃が訪れた。
 考え事をしていたからか人とぶつかってしまったらしい。思って下を向くと、やはり女性がぶつかってきたようで慌てて体を支えた。

「ああ、すみません!」
「いえいえ、こちらこそ」

 人当たりのいい笑顔で答えると、女性はそのまま壱川の顔を眺めている。
 その視線を感じて、わざとぶつかられたのだと気付くまではすぐだった。

「お怪我は?」
「いえ、大丈夫です。ごめんなさい、私ぼーっとしてて」
「ならよかった。俺もぼーっとしてたからお互い様ってことで」
「ここ人が多いから、あんまりうろうろすべきじゃないですね。なんだか物珍しくて色々見て回るのが楽しくて」

 この先の展開が読めてげんなりする。
 やはり早く水守がいるところに向かおう、そう思って彼女から視線を逸らしたが、彼女はそれでも勝手に話し続けた。

「お恥ずかしいです、田舎から来たものですから。こんな高級なホテルに泊まるなんて早々ありませんし」

 と、先を急ごうとする壱川の耳にそんな言葉が入る。

 ――宿泊客……

 これはラッキーだと思い改めて彼女と視線を合わせるが、どう見たって田舎から来たご令嬢には見えない。
 気を引くための方便だろうとわかっていて、それでも壱川は顔に笑顔を貼り付けた。

「実は俺も似たようなものでして。そういえばこの後ダンスをする時間あるのは知ってます?」
「え、ええ、社交ダンスなんて少ししか習っていないから、私は見るだけのつもりなんですが――」
「それは良かった」

 ああ、これじゃ俺があの女スパイの役だ。間違っても世界は救えないだろうけど。
 つまらないことを考えながら手を差し伸べる。ハニートラップなんて似合わない真似はしたくないし、するつもりもない。勿論スパイにだってなれないだろう。
 だが盗むことに関してと手の器用さなら、ある程度の自信があってしまうのだから困る。

 だから壱川は、意気込むように一つだけ息を吐いて、それから彼女に言った。
 
「俺が、君にダンスを教えても?」

 

 

***

 

 

「美味しい!これ美味しいわ!」
「それは良かった」

 感動のあまり、少しばかり大きな声が出てしまったと反省しながら水守は再度グラスを傾けた。
 結局カードキーは見つからないが、まあ壱川あたりがなんとかするだろう。
 それよりもせっかく来たのだから楽しまなければ損だと思い、休憩を兼ねて立ち寄ったのはバーカウンターだった。

 こんなにも高いホテルなんだから、さぞ美味しいものが出てくるのだろう。
 そうは思っていたものの、初めて飲む酒の数々はどれも絶品だ。次第に止まらなくなって、ついついおかわりを頼んでしまう。

 バーカウンターの中にいる初老の男性は、水守の反応に嬉しそうに微笑んだ。
 こういう時間も悪くないと思いながら、改めてどうやってカードキーを探すか考えてみる。

 ――本物のスパイならどうするのかしら。

 そういえばこの前壱川と観た映画では、女スパイが男にハニートラップを仕掛けていた。
 ハニートラップと聞くと、つい先日行った合コンのことを思い出す。
 多分自分には向いていないから、する機会があっても二度と試したりしないだろう。というか、顔に出やすすぎてトラップにならない気がした。

「あの、すみません、水守さんですよね?」

 そんなことを考えていると、先程カウンターの隣に座った男がおずおずと声をかけてくる。
 ナンパかと思い無視を決め込んでみるが、それでも男は口を開いた。ナンパにしては自信なさげな声色だったので、不思議に思い彼を見る。

「急にすみません、実は俺、テレビで水守さんのことを見て――その、ファンなんです」
「ファン?」

 思わず素っ頓狂な声で返事をする。まさか自分にそんなものがついていたとは。
 まあ確かに、最近はニュースで取り上げられることもたまにはある、というか発端の事件から大々的にニュースになったせいで名前ばっかりは有名なのだが。

「俺、探偵とか怪盗とか――あのブームが好きだったんです。だからまだ探偵やってる人ってすごいなって、なんか嬉しくて」
「そう、ありがとう。期待に添えるよう頑張るわ」
「あの、よかったらサインとか――」
「サイン!?ないない、そんなの。悪いけどアタシ、普通の探偵だから」
「じゃあ連絡先を……なんて冗談です。これからも応援してます」

 普通じゃない探偵もよくわからないが、と思いながら、それでも応援してくれている人がいるのはありがたい。
 思って上機嫌に新しい酒に口をつける。
 男が冗談で差し出したスマートフォンを横目に見ていると、グラスはまたすぐ空になってしまった。

「水守さんは今日ここに泊まるんですか?」
「いいえ、残念ながらパーティーが終わったら帰るつもり。あなたは?」
「俺は結構遠くから来てるので、今日はこのまま泊まって明日に帰るんです」
「……へぇ、羨ましいわ」

 思わぬ宿泊客の来訪に、思わず声がワントーン下がる。

 ――今こそハニートラップの出番?いやいや、できないことは考えるものじゃないわね。

 そう思いながら男を見ていたせいだろうか、どこか上ずった声で、男はもう一度口を開いた。

「よ、よかったら泊まりますか?一緒に、このホテル、中もすごいんですよ」
「…………」
「水守さんの話色々聞きたいですし、一人くらいなら増えてもいいんじゃないかと――」
「それ、誘ってる?」
「……そうです、水守さんを誘っています」
「でもあなたみたいな人、きっと素敵な家族や恋人がいるんじゃない?」
「いえ、恥ずかしながらまだ独り身なので……恋人も長らくいませんしね」
「……そう」

 静かに男が持っていたスマートフォンを指さす。何事かと思った男は、真っ暗になったままの画面を凝視した。

「さっき見えてたけど、ホーム画面ってあなたの家族よね?」
「えっ……」
「隣に映ってたのは奥さんかしら。ああそれと、左手の薬指に痕が残ってる。さっきまで指輪をつけてた証拠ね」
「な、なんですか、急に」
「これ、なんだかわかる?」
「……なんですかそれ」
「レコーダーよ、探偵の嗜みだもの。今の会話全部録音してるの。奥さんや会社の人が聞いたらどう思うかしら」
「……!!!」

 勿論嘘だ。レコーダーを持ち歩いているのは本当のことだが、しかし録音など急にするわけもない。
 だからこれはハッタリだが、随分効いたらしい。
 それもそうだろう、こんな会場に来るような男だから、きっと大した役職についているに違いない。

「ところでアタシ、どうしてもホテルのカードキーが必要なの」
「脅し、ですか」
「ええそうよ、勿論後で返してあげるけど。で、どうする?」
「…………」

 それから男は、黙ってホテルのカードキーを差し出した。
 案外上手くいくものね、なんて思いながらカードキーをしまって、またおかわりを注文する。

「お見事」

 初老のバーテンダーがそんなことを言いながら酒を出すので、水守は上機嫌に鼻歌を歌った。
 集合時間まで、あと一杯くらいは飲めるだろう。

 


***

 

 

「とりあえず、報告し合うか」

 約束通り、三十分後になって全員がもう一度集合した。
 すでにかなりのアルコールを摂取した水守は、やはり少し上機嫌のままカードキーを出す。

「ふふん、感謝しなさい」
「……一応、どうやって入手したのか聞いてもいい?」
「あら、借りたのよ。どっかの誰かさんは無理だって言ってたけどね」
「その借りた部分を詳しく聞きたいんだけど?」
「別に、ちょっと脅したら素直に貸してくれただけよ」
「……君、こんな場所で恐喝したのか……」
「で、他の人はどうなのよ」

 水守に言われて、宮山が手を上げる。
 そういえば宮山は、木野宮と共に今から泊まれないか交渉すると言っていた。

「実はこっちもカードキーの入手……というか、宿泊の予約はとれまして」
「それじゃ二人ともホテルに入れるのね?」
「ええ、偶然通りかかった主催の方が、木野宮さんの知り合いなら通してやれと言ってくれたんです」
「ふふふふふふん、この名探偵にかかればこの通り!これにはジェームズ・ボンドもびっくりですな!」
「で、そっちは?」
「……俺は残念ながら成果がない」

 と、深海がため息を吐いた。まあ水守も運が良かっただけなので、責める気など毛頭ないのだが。

「それじゃ木野宮さんと宮山さん、それからこの一枚でアンタは入れるわね」
「ああ、ホテルのフロアに入るのに一人ずつカードキーを差し込まないといけないようだからな」
「ちょっとー、それじゃ私が入れないんですけど」
「待ってればいいだろ」
「やだよつまんない、なんのためにここに来たのかわかんないじゃん」

 頬を含まらせた彰が言う。ということは、彼女もカードキーを入手できなかった――というか、もとより探していなかったのだろう。

「でも、彰ちゃんがいた方がスムーズじゃないですか?何があるかわかりませんし。もし部屋に犯人がいたとして、この三人で取り押さえられるかどうか」
「確かに不安なメンバーだけど、部屋にいるとも限らないんじゃない?」
「いいや、どっちにしろ直接部屋に入る時は俺がハッキングすることになる。部屋はそれぞれ個別のキーを使うみたいだからな」
「じゃあその間の見張りが必要ね、まあどっちにしろ犯人がいたらもみ合いになるかもしれないし――」

 どうしたものか、と全員で考える。
 彰は「私も行きたい」と小さく文句を呟いていたが、確かに彼女がいた方が何かと都合がいいだろう。
 そう思った瞬間に、壱川が仕方ないと言いたげな顔で手を上げた。

「実はここに、もう一枚あったりして……」
「流石です壱川さん、これで彰ちゃんも入れますね」
「?なんで最初から出さなかったんだ、ずっと持っていたんだろう」
「やっぱりハニートラップしてるんじゃない」
「だからしてないよ!?」
「じゃあどうやって取ってきたのよ、それ」

 水守に詰められて、壱川はうっ、と唸りながら後退りした。
 どうせやましいことでもしたんだろう、という疑りの念がこもった視線を感じる。

「これはちょっと……拝借しただけで……」
「アンタ、刑事のくせにスってきたの!?」
「ちょ、声が大きいよ。後で返すから」

 一応、悪いことはしたという気持ちはあるのだろう。
 こんなところで嫌な才能を発揮したと壱川も思っているが、今頃あの女性はカードキーがなくなっていることにすら気付いていないはずだ。

「……とにかく、これで四人入れるな」
「じゃあアタシたちは留守番ね、まあもう十分働いたしいいんだけど」
「くれぐれも気をつけてね。俺達はなにかあっても駆けつけられないだろうし」
「大丈夫だよ、私がいるもん」
「名探偵もいますぞ!!!」
「……まあ、頑張ってみます」

 言って、彼らはカードキーを手にロビーの方へと歩いていった。
 まあ、彰がいるならなんとかなるだろう。というか、そう思うしかない。
 いかにも不安なメンツだと思いながら、壱川は隣に佇む水守に目を向ける。

 これで出番は終了だ、もうやることもなくなったから帰ったっていい。
 カードキーだって、直接返さなくても「落ちていた」とでも言えばいいのだから。
 しかし水守はそのつもりもないらしい。「まだ飲み足りない」とそんなことを呟いているのを眺めていると、ふと目が合った。

 ――まあ、彼らが帰ってくるのを待ったほうがいいだろうし……

 そう思うも、「何よ」と眉を寄せながら言う水守に対し言葉が詰まって――

「えーっと……ダンスでも踊ってみる?」

 そんな下手な誘いをして、上階へと上がっていく彼らの安全を祈ることしかできなかった。

 

 

 

 

つづく!

とある夜会の騒乱編 壱

 


「残念なお知らせだ」
「…………」

 と、言いながらも大して残念そうに思っていない顔で、壱川遵はコーヒーに口をつけた。
 対面に座る深海京佑はやっぱり、と言いたそうな顔をしていて、壱川は慰めの代わりに苦笑いを見せる。

 とある喫茶店の穏やかな午後。
 テーブルに差し出された資料を手に取り、深海はゆっくりと目を通す。

「そのホテルだけど、どうも大規模なイベントがあって数日貸切状態らしい。おかげで警備も相当厳重だけど、警察は噛んでない」
「……招待客のリストは割り出せなかった。向こうも有名人ばかりだからかなり力を入れてるんだろうな」
「ついでに言うと、ホテル自体招待客以外は入れないようになってるみたいだね。一般は当分、受付にすら近寄れないよ」

 確かに残念な知らせだ。
 深海は小さくため息を吐いて、それから資料をまとめて裏返した。

「招待客の中に犯人がいるのは確定だな」
「それは間違いないけどね。入る算段もないんじゃどうしようもない」
「……そうだな」

 もしかしたら壱川が何か手立てを持っているかもしれない。そう思って相談してみたことだったが、結果として出てきたのは正面からの侵入が難しいだろうという事実だけだ。
 まあそれも、予想していたことではある。
 思わず頭の中の東雲が「怪盗のいろはを教えてやろうか?」なんて囁いてくるのだが、深海にそんな芸当ができるとは思えない。

「……一応聞くけど、どっかの怪盗みたいに侵入しようなんて考えてないよな?」
「考えてはいた。が、難しいだろうな」
「まあわかってるだろうけど、こんな場所で不法侵入で捕まったら俺もフォローしてあげられないよ、流石に」
「実際、アンタや東雲宵一ならこのホテルに侵入できるか?」
「いいや?」

 少し嬉しそうに返事をしたところを見ると、できるのだろう。
 これは深海のことを思っての返事だ。だが、実際壱川の頭の中では侵入の算段などとうについているのだろうと察することができた。

「まあ東雲君ならできるんじゃないか?彼はなかなか”やる”からな」
「だが本人の協力は仰げなかった」
「……言ってはみたのか」

 怪盗の手を借りるというのもどうなんだ。
 そんな気持ちが込められた苦笑いを向けられて、深海は視線を逸らした。

「できたとしてもやらないらしい、窃盗と同じだからと」
「はは、東雲君らしいな」
「まあ、俺にはわからないがこだわりがあるなら仕方ない。別の手を考える」
「別の手って?」
「……今はまだ何も考えていない。協力感謝する」
「ああ、俺も一応色々考えておくよ」

 そう言って深海は先に席を立ち、喫茶店から出ていった。
 その背を見送りながら壱川は考える。勿論できなくはないだろう。だが――

「……俺はもう、怪盗じゃないしね」

 そんな呟きも平日の午後に溶けたので、彼も自分の仕事に戻ることにした。

 

 

 

 

 


猫猫事件帖
とある夜会の騒乱編

 

 

 

 

 

 


「いーきーたーいー!!!」
「…………」
「私も行きたい!私もパーティー行きたいよう!!」
「………………」

 大声を上げながら駄々をこねる影――明乃には目もくれず、東雲宵一は相変わらず仏頂面でパソコンと睨み合っていた。
 あれからなんとか糸口を探せないかと奮闘しているものの、大した結果も得られないまま時間ばっかりが過ぎていく。

 このまま行けば、深海は本当に怪盗の真似事をしかねない。
 いやまあ、それはそれでかなり面白そうではあるのだが。

「だってだって、きのみちゃんが嬉しそうに話してたんだもん!私もドレスとかタキシードとか来てパーティーに行きたいよう!」
「ドレスもタキシードも用意してやるよ、怪盗衣装だけどな」
「そうじゃないんだってばー!宵一さんの馬鹿!」

 先程から東雲を横で揺さぶり続けている明乃の猛攻に耐えながら、またキーボードを叩く。

 どうやら、木野宮きのみがどこかのパーティーにお呼ばれしたらしい。
 その話を聞いた明乃が、自分もパーティーに行きたいと騒ぎ続けてはや数時間。
 恐らく彼、もしくは彼女の中では先日読んだばかりのロマンス小説のような光景が浮かんでいるのだろう。

「パーティーに行ってみたいんだもん!」
「怪盗としてならいいぞー」
「えーいやだよう!私も豪華なご飯食べたいよう!!」

 ほら見ろ、やっぱり服と食事のことだけじゃないか。
 と、言いたげにため息をついて、東雲は作業に戻る。

 ――ちょっと別の角度から探してみるか。

 仕事中だというのに、それでも明乃はひたすら東雲の体を揺さぶる。
 堪忍袋の緒が切れて、明乃にキレるまであと数分。
 その日はそんな怪盗たちの攻防が、夜中までマンションの一室に響き渡った。

 


***

 

 

「浅野さんは元気にしてるか?」
「ああ」

 穏やかな表情をした初老の男性は、満足そうに食事をしながら深海にそう尋ねた。
 深海の短すぎる返事にも何も言わず、「そうかそうか」と嬉しそうに頷いている。

「今度私も挨拶に行かないと!京ちゃんがお世話になってるなら菓子折りくらい持っていかないとね」
「いや、来なくていい。むしろ挨拶に来たいとは言っていたが」
「あら!それならちゃんと予定立ててね!ちゃんと美味しいもの作らなきゃいけないから!」

 と、今度はキッチンの奥から料理を運んでくる女性が、嬉しそうな顔でそう言う。
 なんとも複雑な気持ちだと思いながら、深海は実家のリビングで食事をしていた。
 たまにはこうして実家に顔を出すようにしていたのだが、今日はちょっとした気分転換も含まれている。

 いつものマンションにいると、どうも気が気じゃなくてパソコンを触り続けてしまう。おかげで数日寝不足も続いていたので、強制的にリフレッシュしろと浅野に言われてしまったのだ。

「ああ、そういえば京佑」

 食事の途中だというのに、男性――深海の父親・深海京治郎が立ち上がって棚から何かを引っ張り出した。
 綺麗に整頓されたボックスの中に収められていた手紙を渡されて宛名を見ると、どうやら自分宛ではないらしい。
 不思議に思いながらすでに切られていた封を開けて、中から数枚の紙を取り出した。

「実は古い友人に誕生日パーティーに誘われていてな。毎年やっているんだが」
「……ああ」

 そういえばこの時期になると、どこかに出かけていたなと思い出す。
 いつも家で食事をとる京治郎が、たまに外食してくるのが不思議だと子供ながらに思っていた記憶が蘇った。

「今年はどうしても仕事で行けなくてな、代わりに行ってみないか」
「いや、いい」

 詳細も聞かずにきっぱりと断る。
 今はそれどころではないし、愛想のよくない自分が行っても意味がないだろう。
 そう思ってのことだったが、返事を察していたのか京治郎は続けた。

「向こうには一応話を通してあるんだ。まあ、行かないかもしれないとは言ったけどね」
「俺があんまり得意じゃないの知ってるだろ、そういうの」
「だがこれも社会経験になる。今のうちに経験しておくのも悪くないだろう」

 珍しく押しが強いことに疑念が募る。
 いつもなら行きたくないと言えば、そうかとすぐに引き下がるというのに。不思議に思いながら手紙を彼に突き返すと、京治郎は残念そうにしながら更に続けた。

「こんなホテル、なかなか行く機会がないだろう?」

 その言葉にふと顔を上げると、中に入っていた紙切れの一枚を京治郎が見せているところだった。
 思わず目を見開く。そのホテルの外見は何度も、何度も見たから覚えている。
 いや、見たどころの話ではない。セキュリティに穴がないか、どうにかして侵入できないかと調べ尽くしたあのホテルなのだから。

「やっぱり行く」
「おお、行く気になったか?にしても珍しいな、お前がこういう場に行こうとするなんて」
「……別に、興味が湧いただけだ」

 下手な言い訳をしながらも、思わず目を逸らしたのは相手が父親だからだ。
 いや、肉親に嘘をついたことを後ろめたく思っているわけではない。
 相手が京治郎だから、目を合わせることは悪手だとそう思っただけなのだが――

「ああそうだ、この招待状、もう一人招待できるんだが」

 穏やかな手つきで手紙を渡されて、もう一度受け取る。
 だが、京治郎の手から手紙を受け取ることは叶わなかった。ぐぐ、と力を入れてみるも、なかなか離してもらえない。

 ――やはり何か、裏があるな。

 と、父親に思うようなことじゃないと知りつつも顔を上げると――
 京治郎はいつもと変わらぬ笑みで、しかししっかりと圧のある顔で穏やかに言った。

「誰か誘わないのか?例えば、彰ちゃんとか」

 

 

***

 


 木野宮きのみは浮かれきっていた。
 勿論、買ってもらったばっかりのドレスに袖を通していたからというのもある。
 珍しく髪をいじってもらったので、今日は探偵帽もお留守番だ。
 それを少しばかり残念に思いながら、隣でスーツに身を包んだ宮山紅葉を見上げた。

「似合ってますぞ!五割増!」
「……そうだといいんだけど……」

 すでに疲れ切っている顔の宮山はといえば、結局スーツ以外はいつも通りでホテルの前までたどり着いていた。
 せっかく招待されたのだ、できるだけ小綺麗にした方がいいだろうとは思ったものの、やはりいつも通りでないと落ち着かない。なんなら、スーツを着ているというだけでも妙に息苦しくて今すぐに帰りたい気分だ。

 だが、あの木野宮紀憲の友人がわざわざ宮山と木野宮に招待状を出してくれたのだから――いや、何より木野宮が行く気になってしまったのだから仕方がない。

 正直、タクシーから降りた瞬間から胃痛が止まらなかった。
 写真で見たよりもずっと大きくそびえ立つホテルもそうだが、入口まで並ぶ警備員や、テレビで見たことのある顔。もうそれだけで、宮山が萎縮するには十分だった。

「ほらほら!はやくはやく!」

 だがここで立ち止まっているわけにもいかない。
 木野宮に無理矢理手を引かれて、宮山は仕方なく重い体を動かし始めた。

「うおおおお!!これがゴーカケンラン!!」
「……今日は静かに……しなくてもいいか、別に」

 ホテルの入口で念入りにボディチェックをされて、招待状を見せてからようやく会場にたどり着く。
 想像以上に広いパーティー会場では、やはり宮山ですら見たことのある有名人や錚々たる顔ぶれが並んでいて、より一層胃が痛くなるのを感じた。

「ほらみややまくん!早速ご飯を食べましょう!これならきっとデカイカニもありますな!?」
「まああるかもしれないけど、あんまり食べすぎないようにね」
「チッチッチ、舐めないでいただきたい。ここにあるご飯を食べ尽くすため、何を隠そうこの木野宮きのみ!おやつも抜いてきましたから!!」

 ああ、それで今日は珍しく三時のおやつを食べていなかったのか。
 どうでもいいことが腑に落ちたところで、宮山の憂鬱は変わらない。ほら急いで、と走り出そうとする木野宮を引き戻すため、腕を伸ばしたが――

「わぶ!?」

 そんな木野宮の小さな悲鳴を聞いて、ようやく顔を上げる。
 誰かにぶつかったのだろうと察してから、宮山の顔は真っ青に染まって冷や汗まで出てきた。
 こんなおっかない場所でトラブルなんて考えたくもない。
 思ってすぐに謝ろうと木野宮のもとへ駆け寄り、腕を引っ張る。

「すいません、この子にはちゃんと言って聞かせますんで――」
「いいわよ別に、転んだわけでもないし。って、宮山さん?」

 聞き覚えのある声が聞こえて、宮山は首を傾げる。改めて背筋を伸ばすと、そこにはやはり見覚えのある顔が二つ並んでいた。
 青いドレスに身を包んだ水守綾はポニーテールではないし、トレンチコートを着ていない壱川遵も髪を耳にかけているのでいつもより顔がよく見える。
 なんだか見慣れない雰囲気だったので、何度も顔を見て本人であるか確認していると、先に壱川が口を開いた。

「あれ、奇遇だな。木野宮さんも」
「壱川さんに水守さん!!こんばんは!!」
「はい、こんばんは。まさかアンタたちも招待状貰ってたの?すごい偶然――も、なんだか慣れてきちゃったけどね」
「間違いないです」

 お互いに肩を竦めながら談話していると、多少は緊張も紛れてきた。
 ありがたいことだと思いながら、宮山は改めて水守を見る。
 いつもとは違う格好だから、ここは紳士的に褒めたほうがいいのだろうか。いや、でも最近だとセクハラにあたるパターンもあるから言葉選びは気をつけないと。
 可愛い、いや似合ってますね?水守さんはどちらかというとかっこいいような、何も言わないのもそれはそれで――

 そんなことを何度も頭の中で巡らせていると、わけがわからなくなってくる。
 こういう時こそスマートに接したいのだが、いかんせん人とのコミュニケーションは得意ではない。

「木野宮さんも今日はドレスなんだな、似合ってるよ」
「ふふん、これでも淑女ですから!!」

 ――これだ!このスマートさが俺にもほしいんだ!

 宮山は拳に力を込めた。できるだけ冷静に、さらっと、きっとそれが大事なんだ。
 だけど水守さんの容姿を褒めるなんて、俺には過ぎたことじゃないか?
 いやでも、やっぱりいつもと違うことは褒められると嬉しいはずだし――
 触れないのは触れないで、結構失礼なことなんじゃ――

 結局終わらない葛藤をし続けて、それから宮山は助けを求めるかのように壱川を見た。

「二人は何しにきたの!?やっぱりダンス!?」
「ダンス?……ああ、そういえばスケジュールに書いてたわね」
「俺達は仕事……でもないんだけどね。まあちょっと茶々入れに」
「茶々入れ、ですか?」

 不思議な言葉を聞いて、木野宮と顔を見合わせる。
 まさか主催者と知り合いなのだろうか、とそんなことを考えていると、壱川は事の発端を話し始めた。

 

***

 

「何よそれ、ちょっと楽しそうじゃない」
「綾ちゃん、そういう映画好きだもんね」

 水守の目が、まるで少女のように輝いているのを見ながら壱川は事の発端になった青年を思い出していた。
 発端の青年――深海京佑が謎の人物に脅されていること。
 どうやら、その謎の人物がこのホテルに泊まっていること。
 データを抜き出すことも叶わず、もしかしたらこのまま侵入することになるかもしれないこと――

 そこまで話を聞いて、水守は爛々と目を輝かせている。
 ホテルに侵入、と聞いて一番に思い浮かんだのが最近観たスパイ映画だったからだ。

 どこぞやの怪盗には興味がないが、パーティー会場に潜入なんて少し夢がある、とそう思っているのだろう。

「ってことは、これがあったらアイツもホテルに入れるんじゃない?」
「その必要はないみたいだよ」
「なんでよ、まさか怪盗の真似事するつもりじゃないでしょうね」
「いや、ちょうどさっき連絡が来たから」

 と言って、壱川がスマートフォンを開くと深海からのメッセージが映し出される。
 どうやら彼は彼で、きちんと招待状を入手したらしい。

「ふーん、じゃあ向こうでなんとかするのね」
「みたいだよ、まあだから別に行きたくないならそれはそれで――」
「……気が変わったわ!」
「ん?」

 水守が勢いよく立ち上がる。次の言葉はすぐに予想できたが、てっきり面倒くさいとそう言い放つと思っていたのに。

「せっかくだし行きましょ!そうだ、スパイっぽい道具とかあのチビメカニックに作ってもらえないかしら!」
「……ホントに?」

 


***

 

「……と、いうわけでね」
「なんですかそれ、めちゃくちゃ面白そうじゃないですか」
「怪盗の次はスパイ!!これはたまらんですなあ」
「やっぱりそう思うわよね?怪盗なんて時代遅れよ、時代遅れ」
「いやいや、そんなところで共鳴しないでよ」

 これじゃ一番困っているであろう人物――深海もたまったものじゃないだろう。
 そう思いながらも、壱川自身ちょっと楽しそうだ、なんて思ってしまっていたから何も言えない。

「ってことで、アタシたちはその張本人を探してたのよ」
「招待状は貰ったって言ってたから、どこかにいるとは思うんだけどね」
「なるほど……確かに人が多いから、探すのは大変ですね。俺達も手伝います」
「ふふふ、この伝説のスパイ、木野宮きのみがスパイ七つ道具を使って――」
「そんなものないでしょ」
「じゃあ手分けして探そうか」

 お互いの顔を見てから頷く。
 だが、それじゃああっちを――と宮山が踵を翻したところで、どうやらその必要もないらしいとすぐにわかった。

 ちょうど今、入口から入ってきた二人組が見える。
 一人は背が低く、だというのに不思議とこの場に馴染むかのような堂々とした態度の少女。
 もう一人は面倒くさそうな顔をして、その横を歩く青年。

 すぐに気付くのも無理はない。そこに並んで歩く二人が、他の参加者の遠巻きな視線を集めていたから。

「……また思ったよりすごい子が出てきたな」
「ですね」
「ちょっと、なんでアンタまでいるのよ」
「……それはこっちのセリフなんだが」
「彰ちゃんだああああ!!」
「ん?」

 まるでパーティーの主役かと見間違うほど、彼女――黒堂彰は、悠々と歩いて髪をたなびかせ、にこやかに笑っていた。

「あはは、面白いメンツが揃ってるじゃん」

 そんな彼女の隣で事件の中心にいる深海京佑は――面倒なことを押し付けられたとでも言いたげな顔で、今もどうしてこんなことになったのかと憂いている。

 

 

 


つづく!

とある夜会の騒乱編 プロローグ

 

 

 モニターに映る文字列を追いながら、何度も確認するように瞬きを繰り返す。
 この仕事を始めてから起こったトラブルの数々を思い出すが、いずれにも当てはまらないケースに心臓が徐々に早くなっていくのを感じた。

 シンプルな脅迫文を何度も読み返して、それから一度目を瞑る。
 落ち着いて最悪の状況まで想像する。その後はいつも通り手の打ち方を考えて、ああいや、邪魔をするな。頭の中に次々と知り合いの顔が浮かんでいく。

 悪どい笑みを浮かべる怪盗、胡散臭い表情で煙草を吸う刑事、気が強く走り出すと止まらない探偵――

 彼らの顔を一通り思い浮かべて、振り払うように首を振った。
 最近、何でもかんでも頼りすぎか?
 そんな良心の呵責に近いものが生まれて、無言のままにキーボードを叩く。

 表示されたエラー文を見てから、深海京佑は一つ大きなため息を吐いて、全身の力を抜いた。
 あの怪盗たちとつるむようになってから、ろくなことが起きない。
 むしろトラブルが増えるばかりで、何一ついいことなどない。

 そんな風に憂いながら、わざとらしく視線を逸らしていたモニターをもう一度だけ横目で見た。

【今すぐにこの仕事から手を引け】

 文章と共に添付されていた一枚の写真。
 そこには、とある倉庫で自分を恨む男と話している深海の写真が貼られている。

 ああきっと、このメールだって騒がしい非日常の発端になってしまうのだろう。
 わかっていたから、深海は諦めたかのようにスマートフォンを取り出した。
 きっとこの続きにはろくなことがないと思いながら――それでも、想像以上に慌ただしくなる騒乱に、飛び込むだけの理由があったから。

 

 

 

 

 


 猫猫事件帖
 とある夜会の騒乱編 

 

 

 

 

 

 


「ダンスは得意ですかな!?」
「……ん?」

 木野宮邸のリビングで、宮山紅葉は唐突な質問を受けて顔を上げた。
 帰宅したばかりの木野宮きのみを見ると、目を輝かせてテーブルに身を乗り出している。

 今一度聞かれた内容を確認してみるが、やはり意味はわからない。
 とはいえ、彼女が意味のわからないことを言い始めるのはいつものことだから、読んでいた本を閉じてゆっくりと首を横に振った。

「得意だと思う?」
「全然!!ではまずは特訓から始めよう!そうしよう!」
「……ダンスの?」
「ダンスの!!」

 わけがわからない。どうやらこのまま黙っているとダンスの特訓に巻き込まれてしまうらしい。
 そう気付いてから仕方なく腰を上げ、木野宮の事情を聞くことにした。彼女がこう言うからには、何かダンスをしたくなるような理由があるのだろう。

「学校の授業でやるとか?」
「違うよ!踊るのはわたしとみややまくん!」
「ええ……」
「ふふん、勿論ダンスのためにドレスとスーツも用意しなければいけませんな!!」
「ちょっとよくわからないんだけど、ダンスを披露する場でもあるの?」

 少なくとも自分にはそんな予定などあるわけもない。
 木野宮を見ると、彼女は嬉しそうに手に持った手紙をぶんぶんと振り回している。

 ――出た、嫌なパターンのやつだ。

 そんなことを考えてすぐに手紙を引ったくるも、どうにも差出人はしっかりとしたところかららしい。すでに切られた封を開いてみると、宮山でも知っているような名前が乗せられていた。
 確か、有名な企業の社長さんである。たまにテレビに出ているところを見ると、タレントとしての側面も持っているのだろう。
 そんな人物から一体どうして手紙が来たのか――宮山は慎重に、書かれている文字を追っていった。

「ああ、つまり木野宮さんの知り合いか」
「そう!でも宛名はちゃんとわたしだよ!!」
「本当だね」

 中には非常に丁寧な文章が綴られていた。
 どうやら彼は木野宮紀憲に世話になっていたらしく、その時の感謝は忘れないという言葉だけでも便箋一枚分ほどは書かれていたくらいだ。
 
 そしてその後に、毎年行っている誕生日パーティーに来てほしい、という言葉も。
 そういえば、と宮山は思い出す。
 昨年だったか、木野宮邸に似たような手紙が届いていた。それに対して宮山は包み隠さずに、現在木野宮探偵事務所は娘と自分が引き継いでいること、おそらく木野宮紀憲は行けないという内容を綴って送ったのだ。

 だからか、今年の宛先は宮山と木野宮きのみになっている。
 事情を汲んでくれたのか、「娘さんにもぜひ会いたい」という内容と、断ってくれても気にしないという気遣いすら書いてある。

「まあ、事情はわかったけど。木野宮さんの知り合いがせっかく誘ってくれてるんだし、行かないのもね」
「そうでしょうそうでしょう!!」
「で、まさかとは思うけどダンスはここで披露するってこと?」
「だってほら、こっちの紙に書いてあるでしょ!?」

 木野宮がもう一枚重なった紙を手にとって見せつける。
 そこには会場や日時の詳細が書かれており、確かに一日のスケジュールの部分に「ダンスタイム」と書かれていた。

【社交ダンスができない方も大歓迎!当日は楽しく踊りましょう!】

 そんな初心者に向けた言葉も隣に書かれていたが、宮山は嫌そうな顔をするほかにない。
 運動もできないし、リズム感もない。ダンスを踊ろうものなら変な生き物のモノマネになるに違いないと自分でよくわかっていたからだ。

 木野宮と行けば、きっと彼女に強引に踊らされるだろう。
 だが、木野宮だけを行かせれば彼女は当日何かやらかすに違いない。

「というわけで、ダンスの特訓を申し出ます!さあ、ワイキキダンス!」
「シャル・ウィ・ダンスね」

 そう口にしてから、宮山は椅子に座り直して木野宮を見守ることにした。
 どこで見たのか、不器用に踊る姿を横目にコーヒーを飲む。

 ――当日、骨折とかできないかな。

 そんな情けないことを考えながら、とにかくドレスとスーツをなんとかしようと思い直して、スマートフォンに手をかけた。

 

 

 ***

 

 


「手伝ってほしいことがある」

 と、深海京佑が電話越しに言ってきたものだから、東雲宵一は思わず訝しげな声を上げてしまった。
 まあ最近は確かに、刑事やら探偵やらに手を貸してやることも多い。
 だが電話先の男が、ここまでストレートに手伝ってほしい、なんて言ってくることも珍しい。

 絶対に口には出さないが、彼はかなりやり手だ。
 東雲には遠く及ばない、というのが東雲なりの評価だが、それにしても腕のいいハッカーだと思う。
 だから、そんな彼ですら手伝ってほしいという案件に興味を持たないわけがない。

「で、お前に突き止められなかった相手ってのはどこのどいつなんだよ」

 東雲は二つ返事で深海を自宅に呼んだ。怪盗の家に人を呼ぶのもどうかとは思うが、まあ今更だろう。
 明乃が淹れてくれたお茶を啜りながら、危機感のひとつも湧かない顔で深海は話し始める。

「それがわからないから困ってるんだ」
「ああ、そういやそう言ってたな。そんで?脅迫メール一つで何そんなに焦ってんだよ」

 と、意地の悪い笑みで尋ねてみると、深海は実際に送られてきたメールを出した。
 先日、深海の仕事用のメールアドレスに送られてきたものだ。内容はシンプルで、「仕事から手を引け」という文章と、それから一枚の写真だけ。

「一緒に映ってるの誰だよ」
「清宮辰郎だ、アンタが調べたんだろ」
「あー、そういやいたな、そんなん。で、そいつと話してるところ撮られてたのか」
「いいや、これは俺が仕掛けていた監視カメラだ。俺のパソコンと繋がってはいたが、すぐに回収したしこんなデータは残していない」
「ふーん」

 適当に返事をしているものの、東雲の興味は徐々に膨れ上がっていった。
 深海のパソコンに侵入したというのなら、向こうも相当慣れている相手なのだろう。深海が焦るわけだ。
 しかも、聞けば相手の痕跡も何も残っていないというのだから、これは面白い遊び相手になりそうだと東雲が口角を上げる。

「で、そっから先はマジで進展なしか?」
「いいや」

 深海がパソコンを操作して、それから別の画面を出してきた。
 どうやらスマートフォンの通話履歴と、それから逆探知の結果らしい。

「話をしたいと言って電話番号を添付したら、向こうから電話がかかってきた」
「んで相手はなんて言ってたんだよ」
「どうにも同業者らしい。俺が客をとっているから迷惑だとそう言われた」
「ほーん、まあ案外狭い界隈だろうしな。で、逆探知の結果はどうだったんだよ」
「ここだ」

 今度は複数枚の写真が映し出される。
 綺羅びやかなホテルと、その内装。深海がボタンを押すと、とある部屋の番号まで出てきた。

「数日このホテルに泊まるということまでは突き止めた。……が、途中で妨害にあってそれ以上は割り出せてない」
「なるほどな、じゃあそのホテルにあるパソコンだかスマホに入っちまえば早いわけだ」

 ニヤリ、と東雲が笑うと同時に自分のパソコンをひたすらに叩き始める。
 そんな様子を、キッチンから明乃がにこやかに頷きながら見ていることにも気付かず。
 一時間、二時間、三時間――と、時間が経過していく中で、いつの間にか部屋には美味しそうな匂いが漂い始めた。

「ご飯できたよー!せっかくだから深海さんも一緒にどうぞ!」
「いいのか?」
「うん!みんなで食べたほうが美味しいから!あ、そうだ、浅野さんも呼ぶ?」
「いや、アイツは別件で仕事中だ。それよりも――」

 ちらりと横目に東雲を見る。最初こそ楽しそうだったものの、徐々に眉間の皺が深くなっているのを隣でずっと見ていた。

「――ダメだな、こりゃ」
「やっぱり難しいか」
「相当玄人だぞ、こいつ。場所までわかってんのにあの手この手でブロッキングされちまう」
「……そうか」
「はーあ、疲れた。とりあえず飯食おうぜ。俺ももうちょっと粘ってみるわ」

 腹減った、と言いながら東雲が立ち上がって手を洗いに行く。
 深海もそれに習って立ち上がるが、頭の中でこの先どうしたものかと、そんなことばかりが渦巻いた。

「で、一体どうすんだよ」
「わからない。手を引いてやるつもりもないが、もしかしたら他の情報も抜き取られてるかもしれないしな」
「本人に直接聞ければ早い――っつっても、こんなホテル早々入れねぇだろうしな」
「……アンタならどうする?」
「あ?」

 そこまで聞いて、深海はどこか迷ったような表情をした。
 よくないことを思いついてしまった。だが、実行できるとは言い難い。

 しかしそんな考えを見抜いてか、東雲はやはり悪どい笑みを浮かべてあっけらかんと言うのだ。

「潜入して直接パソコンごと盗む。――なんてったって、俺は怪盗だからな?」

 

 

***

 

 

「ねえ、こういうのって行くべきだと思う?」
「うん?」

 壱川遵は、目の前で憂いている女性――水守綾の手元を見た。
 分厚い封筒の中身はわからないが、予告状というわけではないだろう。
 もし予告状であれば、彼女がこんなことを聞くわけがない。そう思って、ウイスキーが入ったグラスを傾けながら不思議そうに彼女を眺めた。

「パーティーよ、パーティー。ほら、タレント兼社長みたいな売り出し方してる人」
「ああ、そういえば最近よくテレビで見かけるな」
「毎年豪華な誕生日パーティー開いてるんだって、これはその招待状」
「君も有名になったっていう証じゃないか?行ってもいいと思うけどね」

 そんな他人事のように、と水守が悪態を吐いて、壱川が肩を竦める。
 実際、そういう誘いが来た理由は水守が徐々に有名になりつつあるからだろう。
 いつかの頃は無能だなんだとSNSで囃し立てられていたものの、今となっては現場にいても何も言われないレベルにまでなってきた。

 そんな事実を嬉しく思うからこそ、壱川は悪い顔をしなかった。
 反面、こういった場を水守があまり得意としないであろうこともわかる。

「まあ、行きたくないならいいんじゃないか?もともと知り合いってわけじゃないんだろうし」
「そうなのよね。でも、こういう場所である程度繋がりを持っておくのも大事なのかもって思って」
「君もそういうことを考えたりするんだな」
「まあね、アタシあんまりコネとか持ってないし」

 それから、ついでに言えばドレスも持っていない。
 どうせいつかは友人の結婚式なんかで必要だろうと思うものの、その時まで買う予定もないのだ。
 作法も何もわかったものじゃないし、もしかしたら恥をかくかもしれないと思うと躊躇もする。少なくとも記載されているホテルを調べれば、小さな事務所で仕事をしている水守が呼ばれるのが不思議なくらいだった。

「まあ、いっか。いいお酒飲めるだろうから気にはなるけど、疲れるのも目に見えてわかってるしね」
「そうだな、俺もどっちでもいいと思うよ」
「同行者もオッケーって書いてたから、アンタのこと誘おうか迷ってたんだけど――」
「……俺は別に行くのもやぶさかではないけどね、ほら、そういうところってなかなか行く機会がないから、いい社会経験にはなると思うし、あと――」

 なんて、適当な言葉を並べ始めた壱川をよそに、手元で封筒を再度開けてみる。
 記載されている丁寧な文章と、それからホテルまでの地図。
 ぼんやりとそれを眺めていると、ふと壱川の目にも止まったらしい。

「それ、もしかして開催場所?」
「ええ、まあ知ってるわよね。このホテルすごく有名だし、アタシ達が行く機会なんてこれを逃したらもう――」
「それって京佑君の……」
「?」

 こうして、彼女たちの騒乱は幕を開けた。
 ある者は好奇心、ある者は焦燥に突き動かされて――

 一つのパーティー会場を舞台に、怪盗と探偵と――それから何でも屋の事件が、始まろうとしている。

 


猫猫事件帖
とある夜会の騒乱編

 

 

 

とある少年たちの憧憬編 最終話


 震えていたのは、先頭に立つ男ではなかった。
 会話がないのも仕方がない。この場に連れてこられた青年たちは、誰もが緊張感のあまり互いの目を見やって同じことを思っている。
 ――どうにかして、この場から逃げ出せないか。
 そんな情けなくも正しいことを。

 街外れにある美術館の近くまで来てから、口を開く者は誰一人いなかった。
 今までは個人宅しか狙ったことがなかったというのに、中島が次の盗みの標的にしたのがこの美術館だったからである。

 警備員の数も、セキュリティも容易には突破できないだろう。
 捕まる確率がいつもより高いことなんて、ろくに勉強をしていない彼らでもわかった。
 だからと言って逃げ出せなかったのは、先頭を歩く男――中島樹を恐れているからである。

 彼のすごむような雰囲気に押され、一同は仕方なくここまでついてきた。
 ある者は金属バットを、ある者はスタンガンを持っているが、いずれの手も震えている。
 成功する算段なんてほとんどなかった。なのに、中島は何かにとりつかれたかのように断固として譲らなかったのだ。

「な、なあ、中島さん、やっぱやめとかねえか……」

 ついにそう口にしたのは、中島の後ろを歩いていた男だ。
 周りにいた者もその言葉に安心したのか、ぽつぽつと「やっぱりやめとこう」「流石に無理だって」と声が上がる。

 だが、中島はそれでもより一層狂気を孕んだ目で一同を睨みつけた。
 思わず小さな悲鳴が漏れ、また誰も口を開けなくなる。

「なんだお前ら、ビビってんのか」
「い、いやだって、美術館なんて俺たちには無理だって!大した作戦も立ててねえのに!」
「そ、そうだよ、誰かが捕まっちまうのがオチだ!」
「…………」

 はあ、と大きな溜息。
 それから中島は、目の前の男からふんだくるように金属バットを奪った。

「もういい、……ならお前らはここで一生そうしてろ」

 安心、していいのだろうか。
 男たちは目配せしながら、一直線に美術館に向かう男の背を見送った。

 一体彼の中に何が渦巻いているのか、知っている者はこの場に誰一人として存在していない。

 

 


猫猫事件帖 とある少年たちの憧憬編 最終話

 

 

 

  ――情けない奴らだ。
 中島がそう思ったのも無理はない。美術館の裏口にまで来て振り返ると、結局着いている者は一人もいなかった。
 確かに彼らの言う通り、成功するだけの算段があるわけではない。だが、やるしかないのだ。中島はゆっくり息を吸い込んで、そびえる美術館の壁を見上げた。

 忘れられるわけもない。
 ここは、中島が初めて怪盗として足を踏み入れた場所であった。
 そして同時にその夢をぽっきりと折られてしまった場所でもある。

 頭の中でフラッシュバックした光景に、つい苦い顔になる。
 未だに夢に見るほどだが、中島はどうしても諦められなかった。高校生の頃、どうしても憧れた存在になりたかった。いや、なれると信じていた。それ以外のことなんてどうでもよかったし、いつか主人公のように警察を翻弄し、探偵と邂逅し、――そんな日々が自分にも訪れると信じてやまなかったのだ。

 その夢のすべてを否定されて、どうしてまともでいられるだろうか。
 中島は自分なりに方法を探してきたつもりだ。しかし同じ夢を持っていた男にそれすらも否定されて、最早怒りとも焦りともつかない感情で胸がいっぱいになっていた。

 ――いや、俺はできる。俺ならできるんだ、アイツらとは違う。

 念じるように強く思って、スタッフ用の裏口に手をかける。
 ドアノブを回しても開かない。ここまでは想定済だ。日中の間にこっそりスタッフルームから拝借したカードキーをポケットから取り出す。
 それをかざしてみると、ドアはなんなく開いた。
 ほら、見ろ。こんなにも簡単だ。
 手汗が異常なほどに噴き出してくるが、無視するように何度も唱える。

 ――俺は、できる。俺は怪盗になれる。ずっとなりたかったんだ。必ずできる。

 暗い通路を進む。警備員がいないか慎重に確認しながら、奥へ、奥へと。
 いや、警戒してるのは警備員ではない。そんなもの、数発殴れば黙らせられるだろう。
 問題は、数日前に届いた予告状の方だ。
 どうして怪盗からの予告状が自分宛てに届いたのか、中島も一度は考えた。
 答えはほとんど出ているようなものなのに、それは中島にとってあまりにも不都合であるため忘れることにした。
 だけど、もし本当に怪盗がこの場に現れるのなら脅威になるだろう。
 なんとしても、怪盗よりも先に盗まなければならない。

 思っていると人影が見えて、慌てて別の通路へ曲がる。
 心臓が痛いほど高鳴っている。落ち着けと自分に言い聞かせて、それでも足を止めなかった。

「……ははは、ほら見ろ簡単だ」

 そんな声が思わず漏れてしまったのは、すぐに目当ての絵画を見つけることができたからだった。
 そうだ、きっとあの時は運が悪かったのだ。そうに違いない。
 零れる笑みを抑えることができないまま、中島は手を伸ばす。
 こんなことは簡単だ、俺にだってできる。例え時代が終わろうと、必ずまた――

「ッ!?」

 しかし、手は伸び切らなかった。絵画に触れるその直前に、けたたましいブザー音が鳴り響く。
 気付かれたか、あるいはセンサーでもついていたのか。慌てて辺りを見渡すが、今更どうにもなるわけがない。
 ブザー音が響く、響く、響き続ける。
 止まれとどんなに念じても止まらない、それはあの日、警備員に見つかった時とまったく同じ――

「動くな!!そこで何をしている!!」

 カッとライトに照らされる。騒がしい足音がいくつもいくつも増えて、中島に迫ってきている。
 逃げなければ、いいや、そうじゃない、盗まなければ――!

 集まって来た警備員に目もくれず、中島は再度絵画に手を伸ばした。
 ここから盗み出さなければ意味がない、このまま何も持たずに逃げ去るなど、できるわけがない。
 ああそうだ、中島がなりたかったのは、そういうものだ。
 こんな逆境すらも跳ね返す。誰よりも窮地にいながら、その場を支配する。そんな、怪盗に――

『レディースエーンジェントルメーン!まあそう慌てんなよ、まだ始まったばっかりだろ?』

 唐突に館内に男の声が響き渡る。
 それと共に、中島の前に影は降って来た。
 女とも男ともつかぬ相貌で、真っ白なマントに身を包み、シルクハットにモノクルまでつけた謎の影が。
 どこからともなく表れて、じっと中島のことを見下ろしている。

「な、なんだ?」
「どう見たって怪盗だろ!おい、奴らの好きにさせるな!」
「応援を呼べ!早く!!」
『だからそんなに慌てんなって、せっかく今からショーが始まるんだ。楽しんで観て行けよ!』

 その声には、聞き覚えがあった。
 つい先日、商店街で偶然にも再会した同級生の声とあまりにも酷似している。
 だが、目の前にはその男ではない誰かが立っていた。
 怪盗らしい衣装に身を包んだ影の周りが、無数のスポットライトで照らされる。
 赤、青、黄色、様々な色のライトが動き回って、最後には影を照らし出した。
 こっちを見ろ。
 そう、言われている。見られては困るはずなのに、注目を集めては不利になるはずなのに。
 この場にいる誰よりも目立つために、ライトの中心で影は堂々と佇んでいた。
 困惑していた警備員たちがなんとか取り押さえようと駆けてくるが、影はそれよりもずっと早い。

『ほら行くぜ、見逃すんじゃねえぞ?3,2,1――』

 どこからともなく響くアナウンスに合わせて、マントが絵画にかけられる。
 そして次の瞬間には――

「なん……だこれ……」

 美しく彩られていたはずの絵画の中身は、子供が描いたらくがきのような絵に挿げ替えられていた。
 中島はそれを、最前で観ていたはずだ。だというのに、種も仕掛けもわからない。まるで魔法にでもかけられたかのように、元の姿を失っている。

『おっと間違えた、悪いな。本命はこっちだ!』

 その言葉を合図に、マントがもう一度額縁にかけられる。そして次にマントが引かれた瞬間には――
 
 絵画の中身だけが、きれいさっぱりその場から消え失せていた。
 呆然としていたのは、中島だけではない。後ろにいた警備員たちも、困惑のあまり足を止めてどうすればいいかと冷や汗を流している。

『さあ、種も仕掛けもちゃーんとあるぜ?お前たちにこのトリックが――』
「ちょっと退いて!!」

 女の声がアナウンスを遮って、後ろから飛んでくる。
 なんだなんだと警備員たちが慌てる中、人波を無理矢理割いて出てきたのは、ヒールを履いた女だった。どこかで見覚えがあるが、一体誰だったか。そんなことを思っていると、更に後ろから髭面の男が、息を切らしながら必死に走る青年が、それから探偵帽を被った女子高生がやってきた。

 ――一体、なんなんだ。

 中島の思考は、最早停止していた。
 眩暈すら覚える。一体ここで何が起きていて、何に巻き込まれているのか。

「たのもーーう!!」
「今日という今日は絶対に許さないわよ!」
「えっへん、この名探偵が来たからにはもう安心!」
「ちょっ……待……木野宮……ッ!」

 どうして、こんなにも胸が高鳴るのだろうか。
 それは先ほどまでの緊張ではない。確かにあの時、毎日のようにニュースを見ては友人と語り合っていた、あの時のような――

『来たな、探偵ども!』
「バッカじゃないの、予告状貰ったんだから来るに決まってんでしょ!」
「そうですぞ!怪盗を止めるのもまた、探偵の宿命!!」

 中島は、気付いてしまった。
 ああ、まだ時代は終わっていなかったのだと。
 同じように、取り残されながら今もなお戦い続ける者がいるのだと。
 憧れた者になるために、真っ直ぐに走り続けている者が――ここに、まだ。

「中島樹君だね」

 呆然としていると、目の前に髭を生やしたトレンチコートの男が立っていた。
 よく見れば、あの日大学で声をかけてきた男で間違いない。
 名前までバレているということは、きっとすべてわかっているのだろう。

「……ッ!!」
「あ、おい君――」

 中島は這いずるように駆け出した。後ろから男が声を上げたが、なぜか追われている気配はない。一瞬疑問に思うも、それすらも冷静に考えられなかった。
  
 ああ、どうして。どうしてこんなものを見せたんだ。
 こんなことが現実に起きているなんて知らなければ、ずっとこのままでいられたのに。

 必死に駆ける。とにかく足を動かす。
 もうなぜ逃げているのかすらわからなくなっている、それなのに。

 それなのに中島の頬には、あの日と同じ悔し涙が、ずっと流れ続けていた。

 


***

 


 騒ぎに乗じて美術館から抜け出したものの、そう遠くに行けないうちに疲労の限界が来た。
 まずは切れた息を落ち着けなければ、不審者として通報されてもおかしくない。
 冷静にそう考えても実行できないことに苛立ちを覚える。なぜだか足から力が抜けて、もう動けそうになかった。

「……俺への当てつけか?」

 中島が呟いたのは、独り言ではない。
 しばし立ち止まっていると、後ろから人の気配がした。
 誰かなんて、振り返らなくてもわかる。あの予告状を出した張本人であり、先ほどのショーを決行したであろうよく知る人物――

「ま、そうかもな。眩しさでちったあ目ぇ覚めたろ」
「はは、は、そりゃスポットライトがあんなにあったらな」

 東雲宵一が、そこに立っていた。
 かつて夢を共有していた男は、中島が知らぬところで夢を叶えていたのだ。
 中島が思い描いてた光景を、いとも簡単に描いてしまっているのだ。
 これは、絶望だろうか。
 自分にできないことを、友人がやってのけている。裏切られたような気持ちも、悔しさも、妬むような気持ちすらあった。なのに、どうしてか恨むような気持ちにだけはなれない。

「……怪盗なんてな、お前が言う通り窃盗罪と建造物侵入罪を真面目にやってる馬鹿な連中だ」
「…………」

 それは、高校の時には決して言わなかった言葉だった。
 二人とも、怪盗が犯罪を犯していることなんてわかっていた。だけど、一度だってそんなことを口にしなかったのは二人とも同じだ。
 やりたいことは、そうではないと知っていたから。

「なあでも、俺たちが憧れたのはそんなんじゃねえだろ」
「……ああ、……そうだな……」
「ったく、やーっと認めたか。わかったら馬鹿なことなんて今すぐやめろってんだよ」

 体が、軽くなったような気がする。
 自分のすべてを否定され、どうすれば認めてもらえるかとそればかりがのしかかっていた。
 その道中で、憧れも期待も希望も、すべて潰えてしまったのだ。だけど一体、どうすればよかったのだろう。憧れになれない自分を捨てて、すっぱりすべて忘れるなんてできるわけがなかった。

「わからなかったんだよ、自分が何をしたいのか……」
「…………」
「認めてほしかった、俺もなりたかったんだ……でもみんな、なかったことにしたじゃねえか……!」
「………………」
「時代が変わって、それにすら追いつけなくて、俺は一体どうしたらよかったんだよ!!」

 悲痛な泣き声を聞きながら、東雲はそれでも目を逸らさなかった。
 生きたかった時代は終わった。置き去りにされた熱は次々消えた。どこを見たって誰もかれもが冷たい、そんな時代だ。
 だとしても。

「俺はやるぞ」

 だとしても、そんなことは関係ないのだ。

「時代が変わろうが関係ねえ。俺がやりてえことは、今も昔も一つも変わってねえからだ」
「……東雲……」
「それに、俺やお前だけじゃねえだろ。まだあそこにいるつもりの馬鹿がこんなにいんだから」

 だから東雲宵一は、今も笑っている。悪人にしか見えない、そんな表情で。
 どんなに変わろうと、どんなに痛い目にあおうと、それが楽しくて仕方がないから。

「まだまだ遊び足りねえよ、俺は」

 だからきっと、この先何があってもやめることなどないだろう。
 夢が叶ったなんて言うつもりはない。まだ頭の中には、やりたいことが溢れ続けている。
 そして、そんな彼の言葉を聞いた中島も力なく笑った。
 どこか以前より晴れた顔になっている気がする。それこそ、東雲が知っている中島樹という男に近いような、そんな気がした。

「……東雲はすげえよなあ、昔っから。やりてえと思ったことは全部貫き通して……」
「そうでもねえよ」
「……いや、かっけえよお前」

 彼は、東雲に背を向けた。
 向いている方角には、逃げてきたはずの美術館がある。

「俺もそう、なりたかった」

 言い残して、彼は歩いて行った。きっと、あの場にいる刑事に用があるのだろう。
 まだ学生とはいえ、犯した罪は重い。ここから先の人生が上手くいくとも限らないだろう。
 ああ、だからこそ――

「なれんだろ!今からでも!!」

 だからこそ叫ばなければいけないと、そう思った。

「…………」

 中島は返事をしなかった。振り返ることもせず、控えめに手を振ってゆっくりとその背が消えていく。
 彼が普通の人生を歩めるようになるまで、どれほどの時間を要するのだろうか。想像もできないが、きっと苦しいことも悲しいことも、たくさん降りかかるのだろう。
 そしてそれを受け止めて、償わなければいけない。例えそれが、夢を語り合った友人であっても、許してはいけないのだろう。

『よ、宵一さああああん!!!』

 しばし夜空を見上げていると、耳に入りっぱなしの通信機から叫び声が聞こえる。
 今も探偵たちと格闘しているであろう影の絶叫は、東雲の鼓膜を破らんばかりの勢いで轟いた。

『どうしよう!見破られちゃった!!』
「はあ!?おいふざけんじゃねえ、絵画の回収は……」
『無理だよう!!もう今すっごい追いかけられてるもん!!!』
「…………」
『うわあああん!!ごめんね宵一さん、せっかく考えたのに!!ごめんなさあああい!!』

 その絶叫を最後に、通信が切れる。
 まあ、明乃に追いつけるような人類が存在しているとも思えない。作戦は失敗だが、捕まるようなヘマはせずに帰ってくるだろう。

「ったく」

 ポケットに手を突っ込んで、東雲も帰路に着くことにする。
 帰ったらすぐに反省会をするべきだ。それから次の作戦を練って、今度こそもう一度――

「……しゃあねえ、たまには勝ちを譲ってやるか」

 不満そうに呟いたが、東雲の顔もまた晴れやかだった。
 この日々が楽しくて仕方ない。探偵VS怪盗なんて喜劇を、彼も心から楽しんでいる。
 探偵に憧れる女子高生も、成り行きで探偵に仕立て上げられた女も、とある男に憧れて追いかけてきた男も、怪盗であることをやめた刑事でさえ――

 彼らもみな、走り続けているのだ。今もなお、止まることすら知らずがむしゃらに。
 
 情熱を置き去りにされた、この時代の中で。
 一人の探偵が点けた炎は、今もまだ激しく燃え続けている。
 

 

***

 


「……よおっし!完璧だ!!」

 東雲宵一は嬉しそうに声を上げた。
 新しいメカも衣装も、用意するべきものがようやくすべて揃ったのだ。
 今度は必ず、あの探偵たちを出し抜いてやろう。そうして浮かぶ悔しい顔を見れると思うと、今から高笑いが止まらない。

「やっぱり俺は天才だなおい!こりゃマジで世紀の大怪盗だぜ!!」
「もー宵一さん、夜に大きな声出したら怒られちゃうよ?」
「うるせえ気にすんな!それよりパーティーの準備しとけよ!こいつは絶対に成功するぞ!」

 リビングでお煎餅をかじる明乃の肩をばしばしと叩く。
 彼、もしくは彼女の体は揺れることすらないのだが、ついでに頭を乱暴に撫でると嬉しそうに微笑んだ。

「よーし、今日は飯食って早めに寝っか!予告状は明日書く!!」
「ご飯の準備ならすぐできるよ!ちょっと待っててね」
「おう、悪いな」

 ぱたぱたとキッチンに消えていく明乃を見送って、ソファに腰掛ける。
 面白い番組でもやってないかとテレビのリモコンを探し、それからチャンネルを変えようとした手がふと止まった。

『先日、〇〇大学で起きた窃盗事件について、専門家の方は――』
『これはあのブームの余波ですよ!今なお怪盗は消えておりませんし、憧れる若者も少なからずいます!』
『我々としても対策を講じなければ――』

 あれから、中島は自首して捕まった。事件自体はかなり大々的に取り上げられており、毎日のように取材陣が押し寄せて来て迷惑だと深海が言っていたのを思い出す。
 脅されていたこともあって、他の者は大抵不起訴になったという話は、依頼人から話を聞いた宮山が教えてくれた。
 怪盗サークルなんて名前だったのもあって、少しだけワイドショーで怪盗の話が取り上げられることも増えた気がする。それはまるで、学生の時を彷彿とさせる光景だった。

「宵一さーん!ご飯持っていくの手伝ってー!」
「おー」

 いつかまた、あんな時代が来る。
 東雲は確信していた。その時代を作るのは、きっと東雲を筆頭にした数多の怪盗たちと――違う道ながら同じように走る、探偵たちなのだろう。
 
 それがいつになるかはわからない。すぐそこまで来ているかもしれないし、もしかしたら何年も後になるかもしれない。だけどもし、その時が来たなら――

「ま、待っててやるか」

 その時が来たなら、一度は夢に破れた若者も、もう一度立ち上がるといい。

 そんなことを頭の片隅にしまって、東雲は喜々としながら次の作戦を明乃に話し始めた。
 彼は今日も、こんな時代を誰よりも謳歌し続けている。
 

 


おわり

 

とある少年たちの憧憬編 五


 少年は思い描いていた。
 自分だったらどんな衣装を着て、どんな演出をするだろう。
 その時間は何事にも代えがたいほど楽しかった。
 もともと機械をいじるのは好きだったから、今できることの範囲で最大限のものを考えてみる。意外と実現できるんじゃないか、なんて思いついた時には、やらない理由はすべてなくなってしまっていた。

 その傍らで嬉しそうに今日のニュースを読み上げる男も、きっと同じようなことを考えていたはずだ。
 子供の頃、ヒーローになりたいと思っていたように。そんな純粋な気持ちが、少年たちの胸を高鳴らせて仕方なかった。

 きっと、みんな同じだった。
 ある者は探偵に憧れ、ある者は怪盗に憧れた。
 自分もと声を上げた者たちはきっと、最初は同じ場所から同じ景色を見ていたはずだ。

 だけど時代は終わりを告げた。
 一時は客の取り合いだったというのに、探偵たちの多くは事務所を畳んだ。捕まることを恐れた怪盗たちは衣装に袖を通さなくなった。
 あんなに熱狂していた者たちはみな、夢でも見ていたかのようにニュースを見て「馬鹿だ」と罵った。

 そんなもんだ。
 東雲宵一は、冷めた目で彼らを見た。
 所詮そんなものだったのだ。だが、東雲は違う。
 
 ――こんなにも楽しくて面白いものが、他に存在しているだろうか。
 少なくとも俺には見つけられない。誰に馬鹿だと言われようと、どんなリスクを背負うことになろうと。

 どうしたって人生で一番胸を躍らせるのは、ステージに上がるその瞬間なのだ。

 だから東雲は立ち上がった、走り続けた、やめようとすら思わなかった。
 いずれまた来る次の時代、その一番前で高笑いするために。

 ただひたすら真っ直ぐに、今も同じ道を相棒と駆け続けている。

 

 

猫猫事件帖 とある少年たちの憧憬編 五

 

 

「で、こいつがなかなかやりやがるんですよ!」
「もともとPC研らしいんですけど、セキュリティ突破もできますよこれ!!」
「…………」

 深海京佑は、とんでもなく困っていた。
 相棒である浅野大洋を目撃されてからというもの、異様なほどに持ち上げられ続けて妙に一目置かれるようになってしまった。
 中心メンバーに入れてもらえるようになったのはよかったのだが、このままでは意図せず雑な犯罪に加担することになりそうだ。

 もちろん対価もなく手を貸すような義理はないのだが、いかんせん東雲たちの調査がどこまで進んでいるかもわからない。
 大学の中、別サークルから脅して奪ったであろう部屋の中で男たちは喜びの声を上げていた。
 その様子を見ながら、深海は早く話が終わらないかとそんなことばかり考える。

 輪の中心にいる男――中島樹は、ソファに腰掛けて俯いたまま、何も言わなかった。
 どうやら件の緑髪の男がリーダーだったらしい。この情報だけでも許されないだろうかと考えるも、まさか東雲がそれだけで「よくやった」なんて言うはずもない。

「中島さん!次のあたりつけてきました!」
「……貸せ」
「はい!郊外にある高級住宅街なんですが、ババアしか住んでないんですよ!」

 いやーいいものを見つけた、とでも言いたげに男がタブレットを中島に渡す。
 これは好都合だ。
 深海は早速頭の中で今後の流れを考えた。
 高級住宅街ならば、それなりにセキュリティ対策もしているだろう。そこに一枚噛むと言えば、実行する日付や時間がわかるかもしれない。

 流石にそこまでわかってしまえば、今度こそ壱川たちが捕まえてくれるはずだ。
 中島本人が現場に来るとは思えないが、捕まえた者から密告があったということにすればなんとかなるだろう。

 と、そんな計画は一瞬で無に帰した。
 中島が項垂れながらタブレットを確認した直後、何が気に入らなかったのか思い切り壁に向かって投げつけたのだ。
 驚いた一同は、割れてしまったタブレットを回収して中島の機嫌をとろうとする。しかし彼の耳にはそのどれもが届かない。彼は――

「こんなんじゃダメだ」

 彼は、そう言って静かに顔を上げた。睨みつけるような目に何が映っているのか、その場にいる誰にも理解ができない。

「こんなんじゃ足りねえ、もっと、もっとデケエもん狙わねえと――」

 何かにとりつかれたかのように、低い声で何度も繰り返す。
 ――いよいよまずくなってきたな。
 冷や汗が流れる。不機嫌な中島を恐れた男たちが震えながら、「そうですよね!」なんて調子のいいことを言い始めているのを聞きながら。

 深海京佑は呑気に、あくどい顔の青年を思い浮かべていた。
 今はただ、彼が早急に事件を解決してくれることを祈るしかないだろう。

 


***

 


「……なるほど、あの中島君が」
「ああ、多分な」

 とある喫茶店の中で、東雲はオレンジジュースを飲みながら真剣な表情をしていた。
 呼び出された壱川、水守、宮山は驚きを隠せずにいる。
 まさか怪盗サークルのリーダーが高校の同級生だったなんて、そんな偶然があるだろうか。ラッキーといえばラッキーなのだが、彼の知り合いということもあって各々が返事に困っていた。

「で、俺に話したってことは捕まえていいってことなのかな」
「逆だ、逆。先越されちゃたまんねえから言ったんだよ」
「いやいや、そう言われてもねえ……俺にも立場ってものがあるし……」
「捕まえるなとは言ってねえだろうが。先を越すなっつってんだよ」
「アンタ、また余計なこと企んでるでしょ」

 水守に突っ込まれて、東雲は「さあなー」なんて適当に誤魔化す。
 確かに、高校の頃の友人が捕まるとなれば気が気ではないだろう。だが、彼が犯した罪は裁かれるべきだ。現に何人もの若者が脅されて、罪を重ね続けている。
 これには壱川も素直に「いいよ」とは言えなかったが、反面東雲の胸中を思うとどうしても強く出られなかった。

「……目覚まさせてやりてえんだよ、あんなんでも一応ダチだからな」
「それは立派だと思うけど、その間にまた窃盗を繰り返したら責任なんてとれないだろう」
「そこは大丈夫だ、もう準備は揃ってる」
「準備?」

 疑問に思った宮山が聞くと、東雲はスマホの画面を見せた。
 画面に映されているのはメールだ。送信元には深海の名前が書かれているが、内容を見るにどこかから転送されてきたものだろう。

「怪盗サークルの次の活動日だよ」
「……深海さん、本当に潜入したんですね」
「おう、こんくらいやってもらわねえとな」
「って、これあの美術館じゃない。今まで普通の家ばっかり狙ってたのに、なんで急に……」
「さあな。でもこの機会を逃してやるつもりもねえ」

 ぶくぶくとオレンジジュースを泡立てて、東雲は言った。

「俺が先に盗む」
「……あのねえ」

 溜息と共に困ったような顔をしたのは壱川だ。
 それもそうだろう。目の前で次の犯行を企んでいる張本人が、内容までバラしてしまったのだ。それを見逃すわけにもいかない。

「一応俺刑事ね、刑事」
「わあってるよ、だからお願いに来たんだろうが」
「……東雲君がお願いね。そりゃまあ聞いてあげたくもなるけど、まさか黙って見てろなんて言わないよな?」
「アホ、ちゃんと予告状も出すわ。ついでにお前ら二人にもな」
「何よそれ、宣戦布告?いいわよ、受けて立ってやろうじゃない」
「ちょっと綾ちゃん、そういう問題じゃないから」

 東雲にはやってのけるという絶対的な自信があるのだろうか。
 宮山は流石だ、なんて思いながらも、スケジュール帳を開いてメールに記載されていた日の予定を確認した。

「見逃せとは言わねえ。ただこの日までは待ってくれねえか」
「……何をするつもりか知らないけど、中島君が心変わりする確信でもあるの?」
「いや、ない」
「まあそうでしょうね。人は変わるものだし、……正直可哀想とも思えないけど、事情があるんでしょ」

 東雲の話を聞く限り、中島は盛大に挫折したのだろう。
 怪盗になりたかった、だけどなれなかった。誰一人彼をそうだとは思わず、ただのイタズラで済まされてしまったのだ。
 きっと、相当悔しかったに違いない。自分にはなれないのだと、何度も自己否定を繰り返して今に至ったはずだ。
 だが、犯した罪を思えばそれを肯定はできなかった。

「……なんか、いるのねーそういう人も。考えたこともなかったわ」
「綾ちゃんは元から興味ないって言ってもんね」
「まあ、確かに学生時代はよく話題に上がってたけど……正直どうでもよかったっていうのが本音」
「あの頃は毎日そればっかりでしたもんね、テレビなんかもすごかったですし」

 宮山も懐かしむように話した。
 宮山自身はブームに充てられたというより、もともと探偵に憧れていたのだが、目指そうと思ったきっかけは間違いなく木野宮紀憲の存在があったからだ。
 その彼が巻き起こした時代に、確かに自分もいた。壱川も、東雲も、その熱を全身に受けたからこそ今がある。

「……懐かしいな。あの頃は毎日楽しかった」
「そういえば壱川さんも怪盗だったんですもんね。俺は探偵に憧れてましたけど……」
「ああ、派閥が分かれてたよね、どっちの方がかっこいいってさ」
「んなもん、だんっぜん怪盗だろ!なんせ派手だ!そんでクールだ!」
「わかります。怪盗もかっこいいですよね」
「いやいや、現役の探偵が言っちゃダメでしょ、それ」
「ふーん、みんな興味あったのね」

 水守がポテトを掴む。東雲が「俺のポテト!」と声を上げるのを聞いて、わざとらしく次々と口に放り入れた。

「あの時はまさか木野宮さんが引退するなんて思いもしませんでした」
「ああ……そうだな、考えたこともなかったよ」
「そういえばいつの間にかブームも終わってたわよね。未だに怪盗がどうってニュースになるけど、そんなに話題にはならないし」
「たまにテレビとかで特集はしてますけどね。……みんな、忘れてしまったんでしょうか」
「ブームなんてそんなモンだろ?ああいうのは一瞬だからブームって呼ぶんだよ」

 言いながら、東雲にも伝わってきていた。
 あの時、みんなが忘れたかのように話題にすら出さなくなった時。
 置き去りにされたような気持ちになったのは、壱川も宮山も同じだっただろう。

 怪盗も探偵も、今なおここに存在している。
 だというのに、あれほど輝かしい時代を生きてはいられない。
 世間の興味はそこには向いておらず、どうしたって一人で戦っているような、そんな気持ちになる時がある。

「……これでよかったと思っていたけど、そう考えると寂しいな」

 壱川が呟く。誰に向けてでもなかったが、きっと思うところが深くあるのだろう。
 置き去りにされた怪盗たちを守るため刑事になったとはいえ、時代を一番に楽しんでいたのは壱川だ。いや……きっと、それだけではないのだが。

「だああ!暗い空気になるんじゃねえよ!!まだここに世紀の大怪盗がいるだろうが!」
「世紀の……って、それ自分で言う?」
「うるせえ!少なくとも今いっちばん目立ってんのは俺だろうが!!」
「頻度が高いし……あと派手だしねえ」
「そこは成功率とかなんかもっとあんだろ!」
「……でも、そうですね。世紀の……とは言えませんが、まだ探偵もいます」

 宮山がそう言って、胸に手を当てる。もちろん自分も探偵だが、彼の胸にいるのは一人だけではない。

「そうね、ブームがどうとか知らないけど、探偵ならここにもいるわ。やるからには全力でやるって決めてるもの」

 水守が続ける。そんな彼女たちの様子を見て、壱川の口元がほころんだ。

「そうだね、時代が終わったっていうには、ちょっと早かったかな」
「そうよ。……で、結局どうするつもりよ。こいつ目の前で全部話したのよ、アンタは受けて立たないつもり?」
「……いや、まあ……東雲君からお願いなんて珍しいしね、たまにはいいかと思っておくよ」
「おう、楽しみにしてやがれ」
「ほんっとムカつくわね。相当自信があるんでしょうけど、アタシたちも全力で止めに行くわよ」
「それで構わねえよ」

 席を立って、東雲が三人に背を向ける。
 きっと複雑な気持ちであるだろうと簡単に予想がついたが、反して彼は笑っていた。

「テメーら探偵がいないと、盛り上がらねえだろ?」

 そんな、挑戦状ともいえる言葉を残して。
 東雲宵一は、早速家に帰ってからやることを頭に並べてその場を去った。

 

***

 


「ちくしょう!!なんなんだよ!!」

 緑髪の男――中島樹は怒りのあまり、手に持っていた紙切れを床に投げ捨てた。
 一体どこで間違えたのかとふと考えてしまって、それを振り払うように何度も頭を壁にぶつける。

 間違ってなどいないはずだ。
 怪盗になりたかった、だけどなれなかった。大好きだった時代は終わりを告げて、誰一人真剣に取り合ってなどくれなかった。
 だから少しでも同志を集めよう、と思ったのだ。
 同じ熱に充てられた者たちを、一人では何もできない者たちを。
 そしてその果てに、もう一度あの時代を作り上げる。そうすればきっと、自分だってニュースの見出しになるほどの大怪盗になれるはずだ。
 ああ、そんな夢だったか。もう何も思い出せない。

 とにかくなんでもいいから成功体験を積むべきだと思った。
 だから仲間を引き連れて、まずは小さな家から指輪を盗んだ。
 最初は怯えていた者たちも、成功した時にはみんな喜んでいたように思う。
 それが膨らみ、重ね続けている内に違う形へと変貌を遂げ――

 気付けば中島は、「怪盗サークル」とは名ばかりの窃盗集団の長になっていた。

 本当はわかっている。こんなことでは「怪盗」なんて呼べるわけもない。
 なのにどうしたって、あの日迷惑そうな顔で警備員が自分を見下ろしていた日を思い出すと手が震える。

 間違ってなどいないはずだ。
 これはただの足掛かりに過ぎない。この活動の果てに、必ずや怪盗になってみせる。

 そんな思いを抱えながら、中島は膝をついて頭を抱えた。
 床には先ほど放り投げた一枚の紙きれがぐしゃぐしゃになって転がっている。

 『名画を頂戴する』という文章と共に書かれている日付と場所には覚えがある。
 なぜならそれは――

 それは、自分が計画した怪盗サークルの決行日だったからであった。

 

 

 

つづく!

 

とある少年たちの憧憬編 四

 

「……おや?これは……」

 常盤社は珍しく、目を丸くしてテーブルを見つめていた。
 それすらわざとらしく思えて腹が立つので、無視を決め込むことにする。

 怪盗たちの隠れ家、その中にある広いリビングルームで黒堂彰は頬杖をついていた。
 テーブルには、学校から出された課題の山が散乱している。今までほとんど手をつけたことがないから、正直何が何だかさっぱりだ。

「珍しいこともあったものですね。いつもは私が言ってもやりたがらないというのに」
「……別にー?暇だったから試しに触ってみてるだけ」
「一体どんな心境の変化があったのです」

 彰はその質問に答えなかった。手に持ったシャーペンでコンコンとリズムよくテーブルを叩いて、どれほどの時間が経っただろう。
 一向に減らない課題と向き合うのはかなりストレスなのだが、しかし目の前にいる男の手を借りたいとは思えない。なんだか疲れてきて、彰は大きく伸びをした。

「少し休憩してはいかがでしょう。ああそうだ、お茶を淹れてきますね」
「……一応聞くんだけど、社さんって勉強できる?……高校のとか」

 その言葉に常盤は振り返らなかった。いつもより不機嫌そうな声色が何を言いたいのか、手に取るようにわかってしまったからだ。
 きっと彼女は葛藤しているのだろう。なんだか嬉しくなって、常盤の口元に穏やかな笑みが浮かぶ。

「ええまあ、人並にはできますよ」
「ふーん、そう。……別に、それだけ」
「そうですか。では私はお茶の準備をしますね」
「うん。…………」

 しかし彰はそれ以上口にしなかった。やはり、目の前の男に頼るのは癪だ。
 柔らかいソファに背を預けて、大きな溜息を漏らす。やはり勉強なんていうのは退屈だ。どうせ大人になったら使わないのに、どうしてこんなことをしなければいけないのだろうか。

「…………」

 視界に真っ白なノートが映る。
 一体何をこんなに頑張っているのかと馬鹿らしくなって閉じようかと手を伸ばす。
 だが、どうしても頭によぎってしまうのだ。
 一度思い描いてしまった、誰かと誰かが一緒にいる、そんな学校生活を。

「…………はあ、馬鹿みたい」

 それからまた、リビングにはコツコツとペン先でテーブルを叩く音がゆっくりと響き始めた。

 

 


猫猫事件帖 とある少年たちの憧憬編 四

 

 

 東雲宵一はエコバッグを片手に商店街を歩いていた。
 明乃の代わりに買い物に来たのだが、買い忘れていたものがあると気付いて踵を翻したばっかりだ。
 空いた手に握りしめた買い物メモを見つめながら、ぼーっとしていたことを悔やんで足が重くなる。
 彼の憂鬱の原因は様々だったが、一番はやはりせっかく準備したショーのお披露目が先延ばしになったことだった。
 あの日、結局東雲は機械のボタンを押す暇もなく逃げる羽目になった。なかなか始まらないことに焦った明乃もその場から逃げ出し、絵画を盗むどころではなかったのだ。
 その原因となったが偶然というのだから、余計に面白くない。

 次の日程をまた決めなおさないと――
 いや、その前にまずは「怪盗サークル」とやらの尻尾を掴まないと――

 様々なことが浮かんでは消える。
 少なくとも、水守たちから聞いた怪盗サークルの話はてんで面白くなかった。

 東雲が怪盗に憧れたのは、学生の頃だった。
 世間が探偵たちと怪盗たちの対決に熱狂している中、みなと同じように熱に充てられてしまったのだ。
 中でも心惹かれたのが怪盗だ。探偵だって嫌いじゃないが、自分がなるなら絶対に怪盗一択だった。
 真似をしたいだけのつまらない輩もたくさんいた。だが、中には世間を驚かせるような怪盗たちが、あの時代、確かに存在していたのだ。
 スポットライトを浴びながら、その姿を晒しながらも誰も捕まえることができない。あの場で誰よりも目立ち、そして誰よりも場を翻弄している怪盗そのものになりたかった。

 壱川のように大した思い入れがあるわけではない。
 ただ、ひたすらにあの時感じた憧れを追いかけて今に至る。
 褒められたことではないのだろう。それでも誇りを持っていた。ようやく追いつけるようになったというのに時代は冷め切ってしまったが、それでもよかった。
 必ずいつかまた、あんな風に世間が丸ごと熱狂する時代が来るはずだ。
 その時、自分がその最前線に立っていたい。それができたらどんなに楽しいだろう。

 東雲は思わず悪人のような笑みを浮かべて――

「おい、東雲じゃねえか?」

 そんな懐かしい声に、ゆっくりと振り返った。


 
***

 

「おいおい、どんな奴が来るかと思えば、何しに来たんだよお坊ちゃん」
「…………」

 深海京佑は思わず溜息を吐いてしまった。
 一体どうしてこんなことになったのかと思うと、怒りこそないが面倒くささが込み上げてきて堪らない。
 本当なら今すぐにでも帰りたいのだが、あの東雲宵一が脅迫――もとい、頼みごとをしてきたのだ。断るわけにもいかず、今に至る。

「お前、うちがどういう集まりか知ってて来たんだよなあ?」
「ああ、もちろんわかっている」
「なんだなんだ、綺麗な顔して非行に走りたい年頃ってか?」
「……まあ、そんなところだ」

 適当に返していると、男たちが下品な笑い声をファミレス店内の端まで響かせた。
 彼がどうしてこんな男たちと一緒にいるかというと、話は数日前まで遡る。

 事務所にずかずかと入って来た東雲は、まずソファに座って「お前に仕事を頼みたい」とそう言ってきた。
 一緒に来ていた壱川、水守、それから宮山の三人は、申し訳なさそうな顔、あるいは呆れたような顔をして同じようにソファに座った。
 一体何を言い渡されるのかと身構えていると、東雲はあっけらかんとした態度で深海に言った。

「お前、怪盗サークルに潜入してこい」
「……は?」

 素っ頓狂な声を上げるのも無理はない。だが東雲は本気だった。
 断ろうかとも思ったが、東雲が提示してきた条件は悪くなかった……というか、「やらなければ今度こそパソコンの中身をぶちまける」なんて脅しまでしてきたのだ。断れるわけがない。
 仕方なく深海は大学の中で件の「中島」を探すことにした。
 容姿が容姿だけに探すのには大して苦労しなかったが、中島は案外慎重な男だった。

「怪盗サークルの件で話がある」
「なんだ?脅しでもしようってのか?」
「違う。俺を仲間に入れてほしい」
「…………」

 中島は、深海の頭のてっぺんからつま先までを何度も往復して見定めた。
 もちろん、深海が不良少年に見えるわけもない。怪しいと思ったのか、中島は疑り深い目で彼に尋ねた。

「その聞き方、俺達が何してるのか知ってて言ってんだな?」
「ああ、噂くらいしか聞いてないが」
「俺が関わってるのは誰から聞いた?」
「前に、刑事らしい男と話していたのをたまたま聞いただけだ。アンタが関わってるのはすぐにわかった」
「…………」

 質問の内容はある程度予想通りだったので淡々と答える。
 中島はしばし考えている様子だったが、全く動じない態度が気に入ったのか、笑いながら最後の質問をした。

「なんでお前みたいな綺麗なお坊ちゃんが俺たちの仲間に入りたいんだよ」
「…………」

 深海は黙る。
 それらしい理由があまり思いつかない。
 非行少年たちがどうして犯罪に走るのかなんて興味もないし、考えたこともなかった。
 いや、深海もある意味では非行少年のようなものなのだが、始めた理由を問われれば「効率のいい稼ぎだから」「できると判断したから」以外の答えなどないのだ。

 そして、その感性自体があまり一般常識に当てはまらないということは散々言われて自覚している。
 だから深海は口にした。自分の中で考えうる限り、最大限に年相応であろう答えを。

「……大学デビューだ」

 

 ――そんなことがあってから、中島はまず他の中心メンバーに紹介すると言って日時を指定してきた。
 
 とはいえ、実際はいびりにいびって脅しのネタでも見つけるための会なのだろう。
 中島の姿こそ見えないものの、同じように派手な格好をしてたむろしている学生たちはそれだけで異質な空気を放っていた。
 見れば周りの席はわざとらしく空席になっているし、客もものの数分で退出する者ばかり。
 それもそうだ、こんなあからさまな不良少年たちがいたのでは、ゆっくり食事などできるわけがない。

「まあ座れよ。お前みたいなやつほど、意外と親に鬱憤溜まってたりすんだろ?」
「あーあーあるあるだよなあ。親が真面目で勉強ばっかさせられてるタイプだ」
「つっても、俺たちの仲間になれるようには見えねえよなあ?んな度胸ある顔かよ、これが」

 やはり下品な笑い声を上げながら、男たちは深海に座るよう促した。
 表情こそ変わらないものの、正直心底面倒くさい。
 すべて適当に交わしてしまいたいのは山々だが、リーダーの実態まで掴むとなれば、ここで信用を得なければいけないとわかっていたからだ。

「お前モテんだろ、女はいんのか?」
「いや、いない」
「おいほんとだろうな?お前、ちょっとでも嘘ついたら容赦しねえぞ」

 男の一人が深海に顔を近付ける。わかりやすい脅しにまた溜息が出そうになったが、なんとか飲み込むことに成功した。
 そんな具体性のない脅しなら、東雲がしてきた脅迫の方がよっぽど怖い。……というより、普段仕事で相手にしている客を思えば、恐怖など生まれるわけもないのだが。

「ま、度胸だけはありそうだな。それだけで仲間だと認められるわけもねえが」
「悪いことなんてしたこともねえって顔してんもんなあ?」

 ――さっきから顔の話ばっかりだな、こいつら。

「……そうでもないぞ」
「へえ、じゃあ今までどんなことしてきたんだよ。まさか万引きなんてちっちぇーこと言わねえよな?」

 お前たちだって似たようなものだろ、と思いつつ、あえて口には出さない。
 とにかく適当な嘘でもついて、信用を得れば今日のところはミッションコンプリートだ。
 深海は考えた。この男たちが喜びそうな、最大限の「悪」。まさか仕事のことを言うわけにもいかないが、一体何を言えば――

「お?京佑じゃねえか!!」

 思いつくより早く、聞き慣れた声が店内に響く。
 深海と、それから男たちはいっせいに顔を上げた。こんな集団に明るく声をかけられる人間など存在していただろうかと、しっかり疑問符付きで。

「よお!大学はもう終わったのか?あ、友達と飯中だったか!?ほんと悪ィ!!」
「……大洋」

 そこにいたのは、白い歯を見せて笑う浅野大洋だった。
 大方、買い物の帰りに休憩しようとファミレスに寄ったところだったのだろう。
 そういえば深海が潜入しろと言われた時も、晩御飯の買い物に出かけていて話を聞いていなかったのだった。

「おー!邪魔して悪ィな!京佑の友達か!?」
「あっ、えっと……そう、ッス……」
「いやーそうかそうか!いつも学校に友達いんのかって心配だったんだよ!よかったら仲良くしてやってくれな!!」

 爽やか極まりない笑顔――だったが、この男たちにはそうは見えなかっただろう。
 どこからどう見たって、「チンピラ」という他にない風貌だ。それだけじゃない、長身も鍛え上げられた筋肉も、一般人からすれば脅威そのものだろう。
 端に座っていた男の一人に肩を組みながら、浅野は嬉しそうに笑っていた。その様子を尻目に、深海は涼しい顔でコーヒーを一口飲む。

「んじゃ、邪魔するわけにもいかねえしオレ行くわ!こう見えて悪い奴じゃねえんだ、これからもよろしく頼むぜ!!」
「は、はい、……」
「…………」

 その言葉を最後に、浅野がご機嫌な様子で店から出て行った。
 妙な勘違いをして気を遣ってくれたのだろうが、こんな連中とつるんでいると思われたくもない。後で弁解しないとな、なんて思っていると、完全に縮こまっていた男たちがぽつぽつと顔を上げ始めた。

「おい深海!!アレお前の知り合いなのか!?」
「あ、ああ」
「おいおいおいおい、どう見ても”本物”だったじゃねえか!」
「やるなあお前!人は見かけによらねえって言うが……」
「いや、俺は最初からわかってたぞ!!こいつはやるやつだってな!!」
「…………」

 なんだかよくわからないが、何を言うまでもなく勝手に認めてくれたらしい。
 これで目的は達成したようなものだが、果たしてこのままでいいものか――

 ――まあ、いいか。

 あまり深く考えないようにしよう。こいつらとの付き合いもそう長くないのだから。
 深海は祈った。何よりも、東雲たちが早く問題を解決してくれるように、と。

 


  ***

 


「おい、東雲じゃねえか?」

 男の声に東雲宵一は体ごと振り返った。
 手に持ったエコバッグもそのままに視線を上げると、見覚えのない男が立っている。
 こんな知り合いがいただろうかと脳内で思い出そうとするも、なかなか答えは出てこない。
 すると、東雲の訝しむような視線に気付いたのか、男はニカッと笑って肩を強く叩いた。

「俺だよ俺!高3の時おんなじクラスだったろ!?」

 そう言われてようやく思い出す。確かに男は風貌や雰囲気こそ変わっているものの、自分が高校生の時に同じクラスにいた男だ。
 三年生の頃の東雲といえばすでに怪盗に夢中になっていた時期なのだが、それでも仲のいい友人はいた。その中でもよく話していたのが、目の前にいる男なのである。
 思えば高校を卒業してから、ほとんど誰とも連絡を取っていない。こんな街中で出会うことも早々ないし、なんだか懐かしくなって東雲も笑った。

「お前、そんな派手な見た目だったかあ?」
「大学デビューだよ、大学デビュー!そういう東雲はぜんっぜん変わってねえな!背もそんままだ!」
「うるっせえ!高校ん時にもう諦めたわ!!」

 それから、二人は高校時代の話や今の話をした。
 まさか怪盗になったなんて言えるわけもなく、「機械をいじって生計を立ててる」なんて適当に誤魔化して話は進んでいく。

「へー、お前大学行ってんのか」
「いや、進学するってちゃんと言っただろ。……むしろ俺は、お前が進学しなかったことの方がびっくりだけどな、頭よかったし」
「どうしてもやりたいことがあったんだよ。ま、通いたくなったら通うわ」
「東雲らしいな」
「そうか?」
「ああ、お前は昔っからやりたいことに一直線で、すげえなって思ってたんだよ。……」
「……?」

 妙に哀愁漂う横顔をのぞき込む。
 大学生活が上手くいってないのだろうか。だが、そんなことを聞いたところで東雲にはどうしてやることもできない。
 東雲の記憶の中で、この男は控えめながら明るい性格であった。だというのに、先ほどからどこか陰のある表情ばかりしているのが少し気になる。

「なあ、東雲。覚えてるか」

 男は静かに話し出した。夕日が沈んで、それと同時に影がゆっくり伸びていく。

「お前が体育サボって教室にいた時、俺がたまたま忘れ物してさ」
「……そんなことあったかあ?」
「あったよ!そんで俺、こいつ堂々とサボっててすげえなー、関わらないでおこうって思ったんだよ」
「おい、なんだそりゃ。結局関わってんじゃ……」

 言葉が途切れたのは、東雲も思い出したからだ。
 晴れた春の日、どうしても太陽の下に行きたくなくて嘘を吐いて体育をサボった。
 人の気配がしない、静かすぎる教室。その真ん中で、東雲は一人スマートフォンを眺めて笑っていた。

「んで、とっとと忘れ物とって戻ろうって思った時にさ、なんとなく気になってスマホ見ちまったんだよ」

 教室に男が入って来たことは気にならなかった。
 別に、周りにどう思われようが関係がない。仲のいい友達だっていたし、今更交友関係を広げたいという欲求もなかった。
 だが、男は後ろでごそごそと何かした後、唐突に東雲に話しかけてきたのだ。

『お前も怪盗好きなのか!?』

 子供のように輝いた目で、教室中に響くような、大きな声で。

「それから俺とお前は仲良くなったんだろ」
「そういやそうだったかもなあ」
「毎日ニュースとか一緒に見てたじゃん、懐かしいよな」
「あー、お前いっつも朝一でその話してたもんな」
「なんだよ、東雲だって嬉しそうに喋ってたじゃんか」

 少年たちは、時代の熱に充てられていた。
 まさかそのブームがすぐに終わるとは知らず、どうしようもなく憧れて、どうしようもなく求め続けた。
 学校では、「怪盗派か探偵派か」なんて話題は日常茶飯事で、だけど圧倒的に探偵派が多かったのは稀代の名探偵のおかげだろう。
 そんな中で、少年たちは出会った。まるでダークヒーローのようだ、なんて純粋な憧憬を抱えて、毎日毎日繰り返し話した。

 あの時から、決まっていた。
 絶対になりたいと、そう願ってしまったから。こんなに面白そうなことがあるならば、やってみなければ気が済まなかった。
 例え時代が終わっても、それでも追いかけ続けた。フィクションではなく現実に存在している、こんなにも面白いことの連続を途切れさせたくなくて。

「……東雲、俺怪盗になりたかったんだ」
「…………」

 少年は、照れもせずにそう言った。
 馬鹿になんてするわけがない。現に東雲はなってしまったのだ。

「あの時俺らが盛り上がってたみたいにさ、世の中のことあっと言わせたかった。バカだと思うか?でも俺は本気だったよ」

 だが、この言いようなら彼はなれなかったのだろう。
 安易に想像できて、東雲の視線が下がる。

「実は大学入ってすぐにやってみたんだ。ターゲットは街外れの美術館、簡単じゃないってわかってたけど、それでもやってやりたかった」
「……成功したのかよ」
「いいや」

 男は遠くを見つめていた。懐かしむような目にも見えるが、どこか陰りのある目の奥が暗く沈んでいく。

「呆気なく捕まったよ。でも、大学生の悪戯ってことで逮捕もされなかった。……俺は怪盗だとすら思われなかったんだ」
「…………」
「誰も、認めてくれなかったんだよ。……いや、ハハ、恥ずかしいわ。俺じゃちょっと足りなかったみたいでさ」

 無理矢理口角を上げているものの、笑えてはいない。
 東雲も笑わなかった。もし自分が同じ立場だったら、どれほど悔しいだろうと想像してしまったからだ。

「だから色々考えたんだ、俺一人じゃ何にもできないってわかったからさ」
「……あ?」
「できないことは補い合って、みんなでやればいい。……そしたらきっとできるはずだって」

 何を言いたいのかわからない。
 いや、言っていること自体はわかるのだ。現に東雲は、偶然の出会いをきっかけに明乃と二人で怪盗をしている。明乃がいるからできる演出もたくさんあるし、今となってはなくてはならない存在だ。
 いや、しかしそうではない。……そうではないと、気付いてしまった。

「なあ、東雲。お前もいつかなりたいって言ってたよな」
「……ああ、言ったな」
「叶えないか、俺たちと一緒に」

 男は手を差し伸べた。東雲なら怪盗になれると、確信があったのかもしれない。
 だけど東雲は手を取らなかった。
 頭の中で、ピースがはまってしまったのだ。
 彼が言う「みんなで」の意味も、その果てに一体何が起きているのかも。

「……お前がやってんのは、ただの窃盗だ」

 静かに目を伏せる。怒りのこもった声だったが、できるだけ冷静に告げた。
 男の指先がピクリと動く。
 そんなことは重々わかっているはずなのに、どうしてこうなってしまったのか。東雲の中に渦巻いたのは、何よりも怒りだった。憧れていた存在を汚された、だというのに汚した張本人は、かつて同じ夢を抱いたはずの少年だったのだ。

「お前がなりたかったのはそんなんじゃねえだろ、中島」

 顔を上げる。派手な緑に染められた髪が、風に小さく揺れていた。
 中島樹。彼がきっと、「怪盗サークル」なんてふざけたものを立ち上げた張本人なのだろう。

「……何が違うってんだよ」

 かつて同じ情景を思い描き。

「捕まっちまえば罪状はおんなじだ!」

 かつて同じ夢を語り。

「俺は怪盗になったんだよ!盗めねえもんはねえ!誰も俺には逆らわねえ!」

 かつて、同じ憧れを抱いたはずの男は。
 たった一度の敗北に折られて、こうもねじ曲がってしまった。

 東雲は思う。
 もし同じ立場だったら、同じように道を外れてしまっていただろうか。
 いいや、絶対にない。そんなことはありえない。なぜなら目指した道は、憧れた場所は、尊敬した者たちは、どうしようもなく現実として、そこに存在しているのだから。

「俺とお前が目指したのは、そんなチンケなものじゃねえ」
「変わんねえよ!今はブームが終わってみんな冷めてるだけだ!!もう一度あんときみたいに盛り上がれば俺だって――!」
「はー、馬鹿だろお前」

 彼の言う通りだ。時代は終わりを告げた。本当に呆気なく、唐突に終わってしまった。
 憧れたステージに上がる隙も無く、熱だけを置き去りにして、まるですべてなかったことになったかのように。

 それでも、火は消えなかったのだ。
 東雲が怪盗になったように、宮山が探偵を目指したように。
 今もまだ、点いてしまった炎を燃やして、あの熱を追いかけ続けている。

「そういうのは自分で巻き起こしてこそだろうが。……ふざけんじゃねえぞ、下っ端にやらせて金だけ巻き上げてるような奴を、俺たちと一緒にするんじゃねえ!!」

 だから、東雲宵一は彼を否定した。
 例えかつて友人であった男だとしても、それだけはどうしても許せない。

「……ハッ、ガキだな東雲。結局怪盗だって犯罪者だ、それに気付いてねえだけのただのガキだよ、お前は」
「…………」
「……残念だよ」

 中島は、そう言い残して踵を翻した。
 その背中に残る悲しみから目を逸らさず、東雲は思い出す。

 あの日、輝いた目で語り合った少年の顔を。
 同じようにして笑っていた、自分のことを。
 毎日のように、怪盗と探偵はぶつかり合っていた。観衆たちはそれを見て、まるで観劇でも見ているかのように熱狂していた。
 毎日が、楽しかった。

「…………」

 もしもまた、あんな日々が訪れるとしたら。
 人々が、ニュースが、世の中が丸ごとあの熱に覆われる日が来るとしたら。

 そこには、必ずいるはずだ。怪盗を謳歌する者だけではなく、真実を求め立ち上がる、そんな探偵たちが。

 頭の中にいくつかの顔が思い浮かぶ。
 なんだか気に食わなくて首を左右に振るが、しかし消えることはない。
 もしも、もしもまた、時代が移り変わることがあるとするならば――

 怪盗だけではない。きっと、彼らのような存在こそが必要なのだろう。

 

 

つづく!