猫猫置き場

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猫猫事件帳 新章 最終話

 

「なんか、意外だな」
「何がよ」
 意外にも静かな返事であった。水守綾は冷静に、それでいてごく当たり前のように答えた。
「君がこういうことに手を貸すのが」
 頬杖を突きながら胡散臭い微笑みを向ける男、壱川遵はどこか楽しそうだった。前なら無性に苛ついていたが、今となってはこの顔も慣れたものだ。
「別に? 気が向いただけ。というか、なんというか……まあ」
 窓の外を見ながら、水守は手に持ったグラスに口を付ける。明日も平日だから、世の中の人間は皆忙しなく帰路についている。
「大した理由なんてないわよ」
「君も慣れてきたな、こういうのに」
「嫌なこと言わないで。やっぱなんかムカついてきたわ」
 仲間、という言葉にはあまりピンとこなかった。水守は顔見知りであろうと、相手を捕まえることができるなら全力で挑むだろう。それを妥協しようとは今も思えない。
 今回手を貸そうとしているのが宿敵のムカつく怪盗であったとしても……その後、彼らがまた予告状を出し挑戦してくるのであれば、全力で立ち向かうだろう。
「プライドかも」
「君の?」
「うん、そういうのが、できてきたのかも」
 稼げればなんでもよかった。就職できればそれで。あわよくば楽な仕事がしたかったし、面白いことがあるならそれに乗りたかった。だけど現実では、そんなに簡単に現れない。
 と、思っていた時期もあった。ひょんなことから転がってきたこの話が、いつのまにか自分の人生を大きく左右していた。正直、期待もあった。楽に仕事ができて、平穏に暮らせればいいと思うことも、退屈しない刺激的な毎日に憧れることも、どちらもあった。
「どうせなら、ちゃんと現場で、完膚なきまでに勝ってやりたいと思ってるのかも。最近、人の役に立つのも悪くないと思えてきたし」
「探偵らしくなってきたね」
「……そう言われると、染まってるみたいで嫌だわ」
 どこか嬉しそうな壱川が煙草に火を点ける。
「なんだか寂しいな」
「何よ気持ち悪い」
「いや、これから頼られることも少なくなるのかなと思って」
 父親のようなことを言うな、と突っ込もうとしたが口を閉じる。それはどちらの方だと言いたくなるも、それもまたやめる。
「別に」
 実際、この男の手を借りなければいけないことも減った。自分で考えて、自分で行動することもできる。頼れる人間が増えたのもある。
「頼るとか、頼られるとかだけじゃないでしょ」
「それもそうだ」
「ムカつくことに共犯にされたから、やれるとこまでとことんやってやるわよ」
「嬉しいね、そう言ってくれると」
「……まあ」
 大人になって、疲れる日が増えた。だけどそれは言い訳に過ぎない。怪盗だの、探偵だの。本来目にすることのなかったであろう、無数のありえないことの連続。
「案外、悪くないわ」
 それは、あの時先に就職が決まっていた友人たちよりも、刺激的で奇想天外な人生だと、案外気に入っている。

 

 

 

 猫猫事件帳 新章

 


 時刻は深夜十二時の少し前。
 指定したのは金曜日の夜、一同はそこに集まっていた。
 一同と言っても、深海と浅野、それと壱川と宮山だけである。東雲に指定された港近くの倉庫は、街灯以外にほとんど灯りもついていない。今は、深海が持っているスマホのライトだけが頼りだ。中には段ボールや何に使うかわからないガラクタが置かれているが、真ん中は空洞のように何も置かれていない。
「よお~し、準備はこんなもんかな!」
「……これ、本当に一人でやるつもりなんですか?」
「応!!あんくらいなら一人でも大丈夫だから任せてくれ壱川さん!!」
 初対面とは思えない気さくさで浅野が笑う。深海は少し離れたところでスマホをいじっている。
「さてと、もうすぐ時間だな」
「じゃあ、僕らも行ってきます」
 言って、宮山と深海は共に倉庫から出て行った。壱川と浅野は倉庫の奥、積み重なった段ボールに身をひそめる。
 そうして待つこと数分。倉庫の近くから二つの足音と、小さな話声が聞こえてきた。
「ここです、ここ。……本当に行くんですか?」
「ええ、少しでも手掛かりがあるのなら」
「……でも」
「いいんです、いいんです。よければここで待っていてください、私が見てきますので」
 そう言ったのは初老の男性であった。隣にいるのは水守だ。水守はとある噂を聞きつけた、と言って男性をここに誘き寄せた。
「いえ、まさかアタシも噂が本当だなんて思ってないですけど……でも、怖くないんですか?」
「ははは、幽霊なんて数十年生きていて見たことがありません」
 そんなことを言いながら、男性の目は笑っていない。
「探偵さんは、こんなところに怪盗の幽霊が出るなんて噂を本当に信じているのですか?」
「いえまさか!でも、やっぱり怖いじゃないですか、こんな夜中に暗い倉庫なんて……」
 噂はこうだ。金曜日の深夜十二時に、件の倉庫で妙な格好をした幽霊が出る。それが大学生たちの間で広まって、今ではちょっとした心霊スポットになっている。その幽霊というのが……まるで怪盗のような恰好をした、身長160cm前後の、目つきが悪く、態度が大きい男なのだと。
 ……本当に大丈夫なのかしら。
 思わず溜息が漏れる。こんなヘンテコな噂を聞いてついてくる男性もどうかと思ったが、どうやら相当鏡を取り返したいらしい。
 だが一応、ここに来るまでにそれなりの準備はしておいた。偽の都市伝説サイトや、偽の死亡ニュース。どれも東雲が作り上げた偽物だが、それを印刷して男性に見せたのである。
「もしかしたら、この中にあの鏡があるかもしれませんから……」
 と、男性が続けながら、倉庫に足を踏み入れた瞬間だった。
 倉庫の照明がついたり消えたり、激しく点滅を繰り返す。驚いたのか小さな悲鳴を上げると共に、男性はあたりを見渡した。
「……なんだ?」
 そう呟くと、それに呼応するかのように灯りが消える。
「…………まったく、もし驚かせようというイタズラなら、私は……」
 言い切るよりも早く。
 目の前に男が現れた。何もなかったはずの空間に、男が”浮いている”。
「!?うわあ!!」
 さすがに驚いたのだろう。男性は尻もちをついて転び、激しく瞬きを繰り返す。
 黒いマント。黒いハット。まるで絵に描いたような怪盗の姿。身長160cm前後、目つきが悪く、態度が大きい―――……
「私をお探しか?」
 東雲宵一。彼の眼は赤く光り、男性をじっと見据えている。
「……馬鹿な!幽霊なんているわけがない!」
 怒りを強く含めた声で、男性は吠えた。東雲はまだじっと、浮いたまま男性を見つめている。
「お前か!? お前が、鏡を盗ったのか!? どうか返してくれ!!あれがないと我が家は―――……」
「あーーーー本当に幽霊だーーーーー」
「わーーーー、噂は本当だったんだーーーー」
 男性の声を遮るように倉庫に響き渡る声。あまりにも酷い棒読みで、あまりにも目が死んでいる。そこには倉庫の外から中を覗く、宮山と深海の姿があった。
「逃げろーーーーー」
「うわーーーーー」
 男性の額に冷や汗が浮かぶ。そんなまさか、そんな馬鹿なと呟き続けるも、脳が正常に回らない。
「……ッ返してくれ!持っているなら!あれさえあれば!」
「……鏡? これのことか?」
 東雲は静かに笑って、懐からひとつの鏡を取り出した。男性の目の色が変わる。それはかつて自身の家に大事に飾られていた、あの鏡そのものであった。
「それだ!!それを返せ!!もともとは我が家の物だ!!」
「……返すのはいいが、アンタ、知ってるだろ? この鏡が”なんなのか”」
 体を浮かせたまま東雲は、静かに男性に近寄った。手に持った鏡を男性に向けると、そこには焦燥に満ちた男性の顔が―――……映っていない。
「コイツは死者を映す鏡だ。アンタの家は代々、この鏡を使って繁栄してきたらしいな」
「だからそれを返せと言うんだ!」
「経営が傾いた時、この鏡に先祖の顔が映り、助言をするという―――その助言を聞けば、いとも簡単に経営が回復し、富と名声を得られた……という逸話があるとかなんとか」
 男性が手を伸ばす。だがそれをひらりとかわして、東雲は笑った。
 黒いマントが風に揺れる。赤い目がまた光る。どんどんと頭が混乱を極めていく。
「さて、この鏡、死者を映すというのは本当だと思うか?」
「そんなことは私の知ったことではない!」
「なら、確かめて見るか、ほら」
 東雲が男性の胸元を掴んで引き寄せる。途端にどこから現れたのか、白いスモークが倉庫の中を満たした。
「見てみろ、アンタの目で。それが真実なのかどうか」
 全身が震えていた。汗が止まらない。目の焦点が定まらない。恐怖にのまれながらも、まだ男は疑っていた。
 そんなわけがない、そんなことがあるわけがないと。
 心の中で何度も呟きながら、しかし男は見てしまった。
 鏡に映っていない自分と―――鏡に映る、東雲宵一を。
「はへ……」
 パタリ。間抜けな音と共に、男は気を失いその場に倒れた。同時に倉庫の外からひょっこりと頭が三つ出てくる。
「終わった?」
「おーーい!降ろすぞーー!!」
 浅野が叫ぶと同時に、ゆっくりと東雲が地面に着地する。ベルトとワイヤーを繋ぐフックを外せば、一気に体が軽くなった。
「いやあ、お見事」
「あらら、完全に意識失ってるじゃない、これ。なんかちょっと可哀想ね」
「まあ、これだけ驚いてくれてたらさすがに諦めるでしょう」
 全員で唸りながら気を失っている男を囲って見下ろす。なんとも間抜けな姿だが、可哀想と言えなくもない。
「……お前らなあ!もうちょっとマシな演技できねえのかよ!!」
「いやあ、あれでも頑張ったんですけど、心霊スポットに来た大学生の役」
「俺もそれなりに声を張ったつもりだぞ」
「あまりにも棒読みだったろうが舐めんじゃねえぞ!!」
「ふーー、疲れたぜえ!いい汗流しちまった!」
「で、どうするのこれ」
「とりあえず時間が経ってから警察にでも通報するか」
「そういえば、それ」
 深海が東雲の手元を見る。確かに作った資料に載せた通りの鏡が、彼の手元にあった。
「結局アンタが持ってたのか」
「馬鹿言え。偽物だよ偽物。作ったんだよ」
「ふーん、でも死者を映すとかなんとかって話は本当なんでしょ?」
「まあな、実際そういう言い伝えがあって、家に受け継がれてたんだと。深海が調べた限りじゃこいつ、家で続いてる会社の社長なんだが、どうにも経営が傾いてるらしい」
「なるほど、それで焦って鏡のこと思い出して、今更欲しがってたってワケね」
 東雲が鏡を懐にしまい直す。ややこしいから帰ったら燃えないゴミで出すだろう。
「ま、これだけしたんだ。あとは起きてから鏡を探す意欲がなくなってれば最高だな」
 満足げに仁王立ちする東雲のマントが風に揺れる。壱川はそれをなんとも言えない表情で見ながら、頬を掻いていた。
「どうしたのよ」
「いやあ、なんか照れくさくて」
「? どうして」
壱川の視線の先には、やはり東雲がいる。見られていることに気付いた東雲は、マントを翻して壱川の方を向いた。
「これ、そいつのおさがりだからな」
「ハア!?」
「衣装まで用意してる時間なかったんだよ、だからそいつのおさがり貰ってサイズだけ詰めて合わせた」
「アンタこんなの着てたの!? アンタが!? これを!?」
「……いや、まあ、そうだけど、うん。あんまり言わないでよ、照れるから」
「まあなかなかいい衣装じゃねえの」
 どうやら東雲は気に入ったらしい。壱川は小さくじゃああげるよ、と言ってまた頬を掻いた。
「さて、と。とりあえず今日は終わりだ。んじゃ帰るか」
「ここまでしてやったんだから、今度なんか奢りなさいよ」
「あーあーわかってるよ、つーかお前」
 東雲が水守を見る。いぶかしげにじっと見つめて、どこか言葉に迷っているようでもあった。
「? 何よ」
「何よじゃねーよ、よかったのかよ。こんなことに手貸して」
 言われて、水守はぽかんとして、それからすぐにいたずらに笑顔を浮かべた。
「あら、アンタのことムカつくけど、結構気前のいい便利屋くらいには思ってるわよ」
 そういう話じゃねえだろ、と言いたげな東雲は、呆れたように溜息を吐いて頭を掻いた。結果借りを作ったことには変わりがない。
「さ、帰りましょっか」
 言って水守は歩き出す。浅野は慌ててそれを追いかけ、一人じゃ危ねえぞ!なんて叫んでいる。東雲は疲れたのか肩を落としながらそれを追うように歩き始め、宮山も会釈だけして去って行った。
 深海も遠くなる浅野の背を見て、倉庫から出ようと一歩踏み出す。
「深海京佑君」
 だがそれを、壱川の声が止めた。止まらざるを得なかった。深海は次の言葉を容易に想像できたし、むしろなぜ今まで言われなかったのか不思議なくらいに思っていた。
「あまりこういうところにいると、お父さんが悲しむんじゃないか」
 ゆっくりと深海が振り返る。返す言葉を用意していたわけではない。だが、特別迷いもしなかった。
「俺の人生なので」
「はは、それもそうだ。でもあまり危ないことはしないようにね。親父さんが悲しむところは見たくない」
 咥えた煙草に火を点けながら、壱川はひらひらと手を振った。目が合った時からわかっていた。彼が父と知り合いであることも知っていた。なんなら、大昔に一度会ったこともある。
 だが、深海にとって大した問題でもなかった。彼が何か行動を起こし、止めようとするなら、更にそれを止めるだけの話だ。
 何も語らない深海の背中に手を振り続けて、壱川はゆっくり煙草の灰を落とす。
「……人生、嫌な偶然ばかり続くな」
 そんな独り言も虚しく、倉庫にはいつの間にか壱川と倒れた男性だけが取り残されていた。


 * * *


「ねえ、早くカルビ焼きなさいよ、カルビ」
「綾ちゃん、野菜も食べた方がいいんじゃない?」
「いいのよ今日は、なんたって奢り焼肉よ? 肉食わないでどうすんのよ」
「ま、それもそうか」
「よかったら僕が焼きますよ」
「いーのいーの、こいつにやらせとけば」
「オレ、ビールおかわりいいっすか!東雲先輩!」
「好きにしろ、つか先輩とか呼ぶな気色悪ぃ、お前の方が年上だろうがどう見ても」
 煙がもくもくと立ち上がる網を間に挟んで、一同は酒を飲みながら団らんとしていた。
 約束通り、東雲の奢りで焼肉に来たのである。特に水守は奢りで食べれる焼肉が相当嬉しいのか、いつも以上に上機嫌で、酒のペースも速い。
「結局、あの後爺さんも諦めたんだろ?」
「そーね、なんかブツブツ言ってたけど、もう怪盗はこりごりだって」
「可哀想になってくるな、ま、東雲君が盗んだかどうかもわからないしね。諦めてくれたなら良好だ」
「大洋、ハラミ」
「おう!これも焼けてるから食え!お、京佑、こっちも焼けてるから食え!」
「そんなにいらねえよ」
「宮山さんもちゃんと食べてる? せっかく今日はチビたちもいないんだし、奢りなんだからいっぱい食べなさいよ」
 お留守番中の明乃と木野宮は、今頃東雲宅で金曜ロードショーを観ていることだろう。東雲の部屋にだけは入れるなと口酸っぱく言ってきたが、考えると頭が痛くなる。
「じゃあ、遠慮なく。壱川さんも食べてくださいね」
「俺は食べるより飲む方が好きだから……って言いたいけど、歳とると焼肉ってそんなに食べれないんだよねえ」
「何言ってんすか壱川さん!!まだまだ若いでしょ!!」
「はは、浅野君にそう言われたら、返す言葉がないなあ」
 ひたすら皿に乗せられていく肉をもくもくと食べながら、深海はちらりと東雲を見た。言わないだけなのか、それとも気付いていないのか。どちらにせよ、自分が口を出すようなことではないが。
 一体、誰が男性に東雲の情報を吹き込んだのか。どうして今になって、と。
 文句を垂れながら肉を焼く東雲は、きっと考えているのだろう。だが、あえてこの場で口にしないだけだ。なんとなく、そんな予感がした。
「オイそれは俺が育てた肉だろうが!!勝手にとるんじゃねえ!!」
「ケチケチしないでよ、別に新しく焼けばいいじゃない」
「そういう問題じゃねえんだよ!俺が育てた肉なんだよそれは!!返せ!!」
「知らなーい、だってそこにあったんだもん」
 ……それにしても、どうしてこの人たちはさも当たり前のように集まっているのだろうか。
 深海はふとそんなことを頭に思い浮かべたが、それ以降はできるだけ考えないように、また新しく乗せられた肉を口に運んだ。

 

 * * *

 

「久しぶり」
 少女は笑う。不敵という言葉が似合う笑みだ。誰が見ても整った顔。まさに、浅野が言うところの美少女に相応しくはあった。
 だが深海はその笑顔に、可愛いとも綺麗だとも思わない。単純に、見慣れてしまっているからかもしれない。
「……なんでこんなことしたんだ」
「どうだった? 探偵さんたち、ちゃんと活躍できてた?」
「気になるなら自分で見ればよかったろ、アンタがやったんだから」
「別に、それが目的じゃなかったもん」
 セーラー服の少女は、風に煽られながら楽しそうに笑った。まるで、本当に子どもが遊びに興じているかのようにも見える。
「俺に偽の依頼主の情報を送ったのも、あの男に吹き込んだのもアンタだな」
「まあね、それに気付かないなんて、さすがだよね。色々賭けだったんだよ、わざわざ学校忍び込んでさ、体育の時間にお財布に三百円入れたの。学校行くの久しぶりだったなあ」
「学校は行っとけよ」
「だって楽しくないんだもーん」
 少女の白いマントが大きく揺れる。少女のことはよく知っていたが、深海はその現実味を帯びないマントを見るのは初めてだった。
「自慢したかったの」
「自慢?」
「そう!素敵だったでしょ、特にチェックの帽子の探偵さん」
「知り合いなのか」
「まあ、ちょっとね」
 その顔から、彼女が何を思い描き、何をしたいのかはやはり読み取れない。ただ、以前会った時よりもずっと人間らしい。
「どう? 京佑は楽しい?」
「別に。稼げるからやってるだけだ」
「つまんない男」
「そうかもな」
 深海が立ち上がる。もう話すことはないと言いたげな背中だった。
「たまには顔出せよ、父さんも喜ぶ」
「嫌だよ。親戚も家族も全員死んだと思って生きてるもん」
「じゃあ俺にもかまうな」
「従兄だからかまってあげたわけじゃないよ」
 記憶の中の少女とまるで違う。彼女はいつも、世の中のすべてが不満そうだった。何もかもがつまらないという表情をしていた。
 優しくされても、突き飛ばされても。何を与えても、何を奪われても。
「ま、本当に自慢したかっただけだから。せっかくだから楽しむといいよ、こういうのも」
 あの時と違う。それは何かを望み、何かを追いかけ、何かを得ようとしている少女の目。
「案外、世の中意味のわかんないものでいっぱいだから」
 深海京佑にはまだ理解しがたい、期待の熱を帯びた、何かを見据えている目だった。