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猫猫事件帖 とある学生たちの放課後編 壱


「大丈夫かなあ……」
 明乃は溜息まじりに呟いた。久しく感じていなかった緊張感。それ読み取った隣に立つ少女は、悪戯に笑いかけて口を開く。
「意外。もっと自信家なのかと思ってた。不安?」
「そんなことないもん」
 少しムッとしながら、明乃は隣で堂々と佇む少女、黒堂彰にそう返す。
 目の前には大きな屋敷。その裏口で、たった二人っきりだ。
「少し短いね、まあ、踏んでこける心配がないからいっか」
 彰が明乃の肩からかけられたマントを手でもてあそぶ。真っ白なマントで、内側の色は鮮明な赤。それは、彰が身に着けているものと全く同じだ。
「別にこけたりしないもん!……多分?」
「こけたら私が支えてあげる」
「こけたりしないってば!……多分」
 変わらずにこにこと笑みを浮かべている彰は、どこか楽しそうだ。
 それは、明乃が想像していた彼女とは少し違う。何を考えているかわからない、目の奥が笑っていない彼女の姿しか今までは思い浮かべられなかった。
 だけど久しぶりに見た彼女は、以前より年相応に見える。それこそ明乃や木野宮と変わらない、悪戯好きの同級生のような印象。
 ……騙されているんだろうか。あるいは流されているんだろうか。ふとそんなことを考えるも、明乃に他人の企みを読む能力は備わっていない。
「ま、ささっとやろうよ。向こうで私たちの探偵さんが待ってるんだし」
「そうだね!よーし、頑張っちゃうぞお!」
 明乃は思い切り息を吸い込んだ。ゆっくり吐き出せば、不思議と緊張もほぐれた気がする。
 東雲宵一が言っていた。こういう時は深呼吸が大事なのだ。何度か深く息を吸い込んで、明乃は真っすぐ前を向いた。
 これはある日の怪盗たちのお話。
 正確に言えば、怪盗と探偵と、それから何でも屋のとある放課後のお話。

 


 猫猫事件帖 

 


 木野宮きのみは上機嫌だった。いや、そもそも上機嫌じゃない日なんてほとんどない。
 だが、友達と遊ぶ約束をしている日はいつもの何倍も上機嫌だ。人といなくてもにこにこしているような彼女だが、この日は周りに音符が飛び交うの幻しが見えるほどの上機嫌だった。
「クレープってなんでこんなにおいしいのかなあ、これは謎の味がしますぞ!」
「確かに、食べるたびにびっくりするよねえ」
「しかしクレープ屋さんでまさかのハムとチーズを頼むとは……さすが明乃氏、大人ですな!」
「えへへ、甘いのとすっごく迷ったんだけど、今日はこっちの気分だったから」
「むむ、それならこの先にもう一件クレープが食べられるところがあったはず!そっちで甘いのも食べようよ!」
「ええ、2個も食べたら晩ごはん食べられなくなっちゃうよう」
 毎度おなじみと言っても過言ではない、明乃は木野宮の顔にクリームがついているのを見つけて、くすくす笑いながら歩いた。
 今日は近くの商店街で食べ歩きをする約束の日だ。特にそれ以外にやることは決まっていない。木野宮が学校を終えるのを待ち、二人は商店街の入り口で合流した。
 学生たちで賑わうクレープ屋に並ぶのはなんとも言えない気恥ずかしさがあったが、今となってはどうでもいい。自分のクレープを頬張りながら、明乃も思わず笑顔を浮かべる。
「そういえば、この前観た映画の続きやるらしいね!」
「なんと!プンプンがまたスクリーンに!?」
「うんうん、また一緒に観に行こうねえ」
 明乃にとって、木野宮は唯一の友人と言っても過言ではない。本来なら学校に通う年齢であるが、様々な事情があって行っていないからだ。
 生活のほとんどは東雲宵一という青年と過ごしており、それ以外の人間と関わる機会なんてほとんどなかった。
 最近は木野宮をはじめとして様々な人間と関わる機会が出てきたものの、こうして誘い合って遊びに行く友人は木野宮ただ一人だけだ。
「あの日は楽しかったねえ!!ポップコーンも美味しかったし、何でも屋さんの襲撃もあったし!!」
「それ、楽しかったですませていいのかなあ……」
 まあいっか、と言いながら明乃は最後の一口を平らげた。明乃の認識では件の何でも屋も、今となっては仲間のようなものだ。
「明乃ちゃん、かっこよかった!」
 屈託のない笑顔で木野宮が言う。思わず照れるような、恥ずかしいような気持ちに襲われる。
 木野宮は、明乃のそういった一面を知っていた。簡単に人をねじ伏せられるだけの腕力と身体能力。東雲に言わせれば人知を超えているレベルだが、明乃はそれが普通の人間にとってかなりの脅威であることを知っていた。
 だが、木野宮はそれをかっこいい、なんて言うのだ。そしてそれがお世辞や気遣いでないことも十二分にわかっている。
「わたしもいつか超人バトルに参加してみたいなあ!食らえ!ファイナルスペシャルヘブンズラストアルティメットセカンドパーーーンチ!!!」
 言いながら木野宮が手を前に突き出した。と、同時にその拳の先に二人の視線が誘導される。
 それは、偶然としか言いようがない。少なくとも、この二人にはそれが必然かもしれないという勘繰りはできない。
 いや、それにしたって本当に、これに関してはただの偶然なのだが―――……
「ん?」
「あーーーーー!!!!」
「あっ!!」
 さらりと伸びた、緑がかった黒髪。普通の人間に比べて整った顔つき。身長の割に存在感のある少女。
 木野宮が突き出した拳の先に、彼女、黒堂彰は立っていた。
「あれ、探偵さんと……ああ、東雲宵一の助手の……明乃ちゃんだっけ?」
 彰は笑った。まるで当たり前かのように笑った。普段ならきっと、明乃はすぐに戦闘態勢に入っていただろう。なんせ彼女は宿敵と言っても過言ではない男の仲間だ。
 それに、木野宮を狙って何度も目の前に姿を現している。それを知っているから、本来なら戦闘モードに入るべきだし、すでに入っているはずだった。
 だが、明乃がそうなれなかったのには理由がある。彼女、黒堂彰のトレードマークと言ってもいいセーラー服と白いマントがなかったのである。
「彰ちゃんだーー!!!」
「久しぶり。まさかこんなとこで会うなんてびっくりだけど」
 普通の女の子のような格好。彼女の私服なのだろう。それを前にして明乃は判断力を失っていた。今、彼女は怪盗ではないと本能で察知したからだ。
 木野宮は彰に駆け寄り、彼女の手をぎゅっと両手で握った。
「き、きのみちゃん!あ、危ないよ!」
「危なくないよ?」
「そうだよ、危なくないよー」
「で、でもでも、その子前にきのみちゃんのこと狙ってたし!」
「友達だから大丈夫!!」
 一瞬、彰が驚いたような顔をする。しかしすぐに笑顔に戻って、彰は明乃を見た。
「そうそう、私たち友達だから大丈夫だよ」
「だ、騙されてるもん!危ないって宵一さんも言ってたもん!」
「この前友達になったの。ねー」
「うん!!!」
「で、でもでもでも!!」
 なんとか木野宮を取り戻そうと明乃は必死に言葉を探す。だが、木野宮は不思議そうに明乃を見るばかりだ。
 正直、信じていいのかわからない。だが、木野宮が友達だとはっきり自分で言っているのだ。いやしかし、木野宮が何か騙されている可能性だってある。
「二人で遊んでたの?」
「うん!明乃ちゃんとクレープ屋さんに行って、今からお買い物しながらまたクレープ屋さんを目指します!!」
「へー、そうなんだ」
「彰ちゃんも来る?」
「あはは、じゃあ一緒に行こうかな」
「きのみちゃあん!!」
 思わず明乃は木野宮を引っぺがす。相変わらず木野宮は不思議そうな顔をして明乃を見ている。
 そんな顔で見ないで、と言いたくなるが、言葉を選べずにぐぬぬぬと口をつぐんだ。
「探偵さんがこう言ってるんだもん、私も一緒にいてもいいよね?」
 挑発的ともとれる声色に、明乃は涙目で彰を睨んだ。いざとなれば、自分が木野宮を守るしかないのだと、決心する。
「わーーい!今日は三人でお買い物だ!!」
 そんな心に気付きもせず、木野宮だけは楽しそうに笑顔で両手を上げるのだった。


「よく二人で遊ぶの?」
「うん!この前は映画観に行ったよ!」
「ふーん、今度私も連れてってほしいなあ」
「ダメ!」
「なんで? 仲間外れにしないでよ」
「う、それは、だって、でも、宵一さんが怒るもん」
「また東雲宵一の話?」
 木野宮を挟んだ状態で、二人の攻防は続く。
 ずっと笑顔のままの彰と、ずっと必死な表情の明乃。そして間には、何も知らずに嬉しそうにしている木野宮がいる。
「東雲宵一が言ったことは絶対なんだ?」
「……宵一さんは間違ったこと言わないもん」
「へー、じゃあ、東雲宵一に何言われても絶対言うこと聞くの?」
「そんなことないけど」
「東雲宵一と意見が合わなかったら、彼の意見を優先するの?」
「そ、そんなことないけど!!」
 楽しそうにイジワルを言い続ける彰に、なんとか反論しようとするも虚しく終わる。その繰り返しだが、どうも彰は楽しそうだ。
「あ、ねえ。あそこ寄っていもいい?」
 涙目になっている明乃に目もくれず、彰は商店街の一角にある店を指さす。古そうに見えるが、外から中を覗ける窓には人形や服や食器や……とにかくいろんなものが並んでいた。
「たまに来るアンティークショップなんだけど、可愛いものもいっぱい置いてるから気に入ると思うよ」
「アンティークショップ!素敵な響きですな!!」
「でもたまにぼったくり商品とかもあるから気を付けてね。店主もカモ見つけたらしょうもない物高く売りつけようとする馬鹿だから」
「カモ?」
 何のためらいもなく木野宮が彰に着いて行く。急いで後を追いながら、明乃は店自体を警戒して落ち着きのない様子だった。
 だが、それもすぐになくなってしまう。入口に置いてあったイルカのぬいぐるみに目が留まり、心が奪われてしまったのだ。
「わーー!それ可愛いねえ!」
「ね、ね、可愛いねえ!わあ、本当に可愛いなあ、いいなあ、今度宵一さんにお願いしてみよっかな……」
 言いながらどんどん声が小さくなっていく。先ほど彰に言われたことを気にしてしまっているのだと自分でもわかった。
「でも、古そうな割に高くない?」
 横から彰がずいっと顔を近づけてくる。驚いて離れようとするも、隣にいる木野宮のせいでその場から動けない。
「べ、別にこんなもんじゃないかなあ」
「そんなことないよ。ぼったくりもあるって言ったでしょ」
「そ、そうかな、でも、もしかしたらすごくいい物なのかもしれないし……」
「店主に言ってあげよっか、安くしてもらえるかも」
 何を考えているのかわからない。だが、安くなるのなら今自分で買えるかもしれない。
 明乃の心は揺れ動いていた。木野宮が友達と言うくらいなのだ。彼女にも事情があるのかもしれないし、本当はいい人なのかもしれない。
「ね、聞くだけタダなんだし、聞きに行こうよ」
「…う、うん」
 彰の白い手が、明乃の手をとる。反射的に振り払うようなことはしなかった。何故かその瞬間、彼女が木野宮と友達だと言うのが、本当のことのように思えたのだ。
 ……ダメダメダメダメ!
 頭をぶんぶんと左右に振って、明乃は彰を見る。東雲にも散々注意されてきた。それに、彼女が自分たちに害をなそうとしていたことは事実なのだ。
 これだって何かの罠かもしれない。そう思って手を振りほどこうとした瞬間……
「あれ?」
 彰が止まった。その視線の先には、二人の男が立っている。
 一人はどうやら店主のようで、カウンターの向こう側から何かを熱心に話している。もう一人の青年は客のようで、真剣に店主の話を聞いているようだった。
「どうしたの?」
 後ろからぴょこりの木野宮の頭が出てくる。三人はカウンターの方を見るが、よく見れば店主の手には古いボールペンが握られていた。
「実はこのボールペンもいろいろあってなあ、本当なら店に出していいやつじゃないんだよ」
「……」
「どうもこのボールペン、持ってるとテストの答えがスラスラわかるとか、急に大金を拾っただとか、とにかくいいことが舞い込んでくるって言われてんだが」
「……」
「前の持ち主が死んじまってなア、それを譲りうけたんだが、ほら、おじちゃんももう歳だろう? だから誰かに貰ってもらった方がいいと思って出したのよ」
「…………」
「兄ちゃん見たとこ学生だろ? ま、兄ちゃんのような若者になら、俺も喜んで買ってほしいと思えるってもんよ。本当にすごいんだぜこいつは、なんせあの聖徳太子が使ってたって言われてんだから」
「…………」
「ま、でもタダってわけにはいかねえ。そんな代物だから本当ならもっとするんだが……まあこれもめぐり合わせだ、3万円でいいぞ!」
「わかった、買わせてもらう」
「ねえ、ちょっと」
 一連の話を聞いて、彰はようやく明乃の手を放す。冷たい声で言いながら、青年の隣に立った。
「嘘ばっか言ってまたぼったくりしてるの? 大体、聖徳太子がいた時代にボールペンなんてあるわけないじゃん」
「あーー!馬鹿!いいとこだったのに邪魔すんじゃねえや!」
「引っかかる方もどうかと思うけど」
 じろり、と彰が青年を見る。背の低い少女に見上げられる形で睨まれている青年―――深海京佑はしばし瞬きをしてからゆっくり口を開いた。
「それもそうだな」
「普通に考えたらわかるでしょ。何探しての?」
「ボールペンがなくなったから新しいのを探しに来ただけだ」
「それで3万のボールペンなんて買わないでしょ、馬鹿なの?」
 後ろからそーっと木野宮と明乃が顔を出す。どうやら二人も深海に気がついたらしい。
「あーー!!何でも屋さんだ!!」
「深海さん!」
 呼ばれて深海が振り返る。
「なんだ、遊んでたのか」
「たまたま会ってね」
「へえ」
 嬉しそうな彰を見ながら、深海は珍しいこともあるもんだ、と考えたが口に出さなかった。わざわざ上機嫌な彼女に水を差すこともないだろう。
「深海さんもお買い物ですか?」
「ああ、新しいボールペン買いに」
「買うの!?幸せを運ぶボールペン!!」
「いや、あれは偽物らしいから買わない」
「普通のでいいでしょ、普通ので」
「文房具屋さんならあっちにあるよ!!案内してあげる!!」
 意気揚々と木野宮が店の外を指さして、早速店から出て行った。どうやら深海も一緒に連れて行く気らしい。
 その場に残された一同は顔を合わせる。だが、誰も何も言わなかった。

 これはそんな、ある日の放課後の物語。
 正確に言えば、怪盗と探偵と、それから何でも屋が出会った、騒がしい一日の物語。

 

  猫猫事件帖 とある学生たちの放課後編