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猫猫事件帳 新章 その六

 恵まれた環境で育ってきたという自覚がある。
 特に不満も、不都合も、不条理だと感じることすらほとんどなかった。
『学校はどうだ? ちゃんと行ってるか?』
「行ってないと思う?」
『いいや、お前は誰に似たのか真面目だからなあ。まあ、あんまり無理するなよ』
 相変わらず優しい父の声を聞き届けて、深海京佑はスマートフォンの電源を切った。
 受験も、人間関係も、すべてにおいて迷ったことも、躓いたこともなかった。深海が気にしていないだけと言えばそうだが、彼は悩むことや迷うことを得意としない。
 そのすべては、あまりにも無駄な時間だとすら思う。
「親父さん、元気そうだったか?」
 浅野大洋がテーブルに皿を置きながら聞いた。皿の上にはハンバーグと付け合わせが乗っている。なんなら、ハンバーグの上にはチーズを切り抜いたお星さまが散りばめられていて、目玉焼きまで乗せられていた。
「いつも元気だよ、あの人は」
「まあ心配なんだろ、親からすりゃ子供なんていつまで経ってもガキだからな」
「そういうものか」
「そういうものだろ」
 続々とテーブルにスープやサラダが並べられていく。
「……今日はお祝いかなんかか?」
「ん? 目玉焼きはいつも乗ってるだろ」
「星が乗ってる」
「あー、それは昨日のサンドイッチの余りだな」
 浅野がドカッと椅子に座る。相変わらずがさつなくせに、こういう細かいことだけは器用にこなす。
「そういやあ、今日の昼お前の客が来てたぞ」
「? 依頼人か?」
「いや、お前の知り合いっぽい感じだったけどな、京佑くんいますかーって」
 ハンバーグを頬張りながら深海は考える。大学の友人には家を教えていないし、かといって先ほど電話した親はそれらしいことを言っていなかった。
 依頼人も、基本的にメールや電話を通してのやり取りだからここを探り当ててわざわざ来るようなやつはいないだろう。
「それがすげえ美少女でさあ!どうぞ上がってくれって言ったんだけいないならいいっつって帰っちまったんだよ。いやーほんとにあそこまで可愛い子はなかなかいないぞ」
「ふうん」
「興味ねえのかよ!もしかしたらお前の追っかけファンかもしれねえぞ!」
「だとしたら迷惑だ。教えてないのに家に来るなんて怖いだけだろ」
「冷たいなあ、お前も若いんだからさあ、もっとなんかこう、ねえの? 浮いた話のひとつやふたつ」
「ない」
 だが、深海は頭に確かに思い浮かべていた。
 性格とは反対に、随分顔のいい知り合いがいる。もしもその人物が尋ねてきたというのなら厄介だ。
 なんせ、深海の調べた限りでは―――彼女は怪盗で、今も尚厄介ごとを巻き起こしている張本人だから。

 

 

 猫猫事件帳 新章

 

 

「宵一さーん!今日は宵一さんの好きなハンバーグだよ!」
「おー、あとで食べる」
「……」
 そっけない返事に、明乃は固まった。笑顔を張り付けたまま東雲のもとに近寄り、ぐいぐいと顔を近づける。
「今できたてだよ?」
「……あとで食べるって言ってんだろ?」
「今、できたてなんだよ?」
「…………」
「今、あっつあつのほっかほかで、いっちばん美味しいときなんだよ!?」
「あーーーっ!!わかったよ!!食えばいいんだろ!!」
 様々な資料や書類やメカに囲まれた東雲は、思い切り立ち上がってズカズカとリビングへ向かっていく。
 満足そうに笑う明乃は急いでキッチンに戻り、完成したばかりのハンバーグを皿に盛った。
「そんなカリカリしちゃだめだよう、身長伸びなくなっちゃうよ」
「もう伸びねえって何回も言ってんだろうが!ほっとけ!」
「はい、これ宵一さんの分!」
 キッチンから差し出された皿を受け取る。お花型に繰りぬかれたチーズやにんじんが散りばめられたハンバーグからは湯気が上がっている。
カリカリもするだろそりゃ、深海とかいう男はいいとしても、アイツに依頼した超本人が見つからないんじゃな」
「だからって根詰めすぎると体によくないよ!はい、スープも飲んでね」
「馬鹿言え、一刻もはやくどうにかしねえと、これからの仕事に影響が出る」
「でもでも、いっぱい寝ないと大きくなれないよ? はい!サラダもいっぱい食べてね!」
「だからこれ以上伸びねえって言ってんだろうが!」
 いただきます!と苛立ちまじりの大きな声を出すが、明乃は相変わらずのんきに笑っていた。
「それだけ私たちが有名になってきたんだよ!」
「なんだよ、嬉しいのか」
「うん!もちろん!宵一さん目立つの大好きだもん!」
 それとこれとはまた違う話だろ、と突っ込みたかったが、口の中いっぱいにハンバーグをねじ込んでやめる。
 実際問題困るのは、仕事を邪魔されることよりも素性がバレる方にある。どこのどいつかわからないその依頼主とやらが、情報を掴んだ後どうするかなんて想像もつかない。
 例えば警察に提供されたら?あるいは家を襲撃されたら?
 あらゆる最悪を想像してみるが。
「おいしい?」
 まあ確かに、どのパターンでも目の前にいる笑顔の超人がなんとかしてしまいそうなものだが。
「めちゃくちゃうまい」
「やったー!よかったあ!それ大洋さんに教えてもらったレシピなんだ!」
「……お前早速連絡先交換したな? あれだけ危機感持てって言ったよな?」
 でもでも、と言い訳を始める明乃は、いつの間にかハンバーグのレシピについて語り始めた。
 東雲自身、危機感に焦っているわけではない。どちらかといえば腹が立っている、という方が正しい。実際に仕事を一つ邪魔されてしまったのは東雲にとって相当気分を害されることだ。
「まあ、いいけどよ。せめて付き合うやつはちゃんと選んで、というか立場をしっかり考えてだな……」
「あ!きのみちゃんからだ!もしもーし!」
「話を聞け!あと飯中に電話に出るんじゃねえ!」
 意気揚々と電話を取った明乃は、それはもう楽しそうにうんうん、と相槌を打ちながら話している。どうやら電話の相手は木野宮きのみらしい。彼女に関してはこれ以上言って無駄、というか、これだけに楽しそうにされては仲を引き裂くようなことは言えなかった。
「え? 宵一さんなら目の前にいるよ、変わる? うん、わかった、スピーカーにするね」
「?」
 言って、明乃はスマホの画面を押した。どうやら通話をスピーカー状態にしたらしい。
 一体あのバカ探偵が自分に何の用があるのか。怪訝な顔でスマホを見つめていると、想像している声とは別の声が部屋に響いた。
『あ……もしもし、宮山ですけど』
「お前この前俺と連絡先交換しただろ!」
『そういえばそうでしたね。すみません。携帯に人の連絡先が入ることってあんまりないので……』
「……いや反応しづらいわ!!」
 普段は食べたがらないサラダを口に入れながら東雲が叫ぶ。
『実はお伝えしたいことがあって。これは俺が掴んだ情報じゃなく、水守さんからなのですが』
「水守ぃ? ……そういやアイツの連絡先知らねえな」
『はい、だから俺から東雲さんに話を回してくれって頼まれたんです』
「で、その情報ってなんだよ」
 スープを飲み切って、ごちそうさまでした!と器をテーブルに置く。明乃は嬉しそうににこにこしている。
『アンタ人がせっかく情報持って来てやったのに、もうちょっと態度なんとかなんないわけ?』
 スマホの向こうから、また聞き慣れた声がした。それは間違いなく、水守綾のものだ。
「いやお前も一緒にいんのかよ!で、なんだよ早く教えろよ」
『教えてくださいの間違いじゃないの? もうちょっと可愛げ覚えなさいよ』
「早く言えよ今からそっち行ってやろうか!!」
『来なくていいわよ、顔見たくないもの。まあいいわ、今から言うこと、ちゃんと聞きなさい』
 食器を片付けにかかっている明乃は、話を聞く気がさらさらないらしい。溜息を吐きながら、東雲は横目に洗い物を始めた明乃を見た。
『アンタ、狙われてるわよ。それも相当な恨みを買って』


*   *   *


先日、依頼に来た初老の男性が怪盗を探して欲しいと言ってきた。どこからか仕入れた情報は東雲の容姿と一致しており、しかも本人の口から「別のルートで情報を得るつもりだったが何故か届かなかった」とまで聞いている。
 水守から聞いた内容はこうだった。普通に考えれば、東雲のことで間違いないだろう。だが、東雲にとって盗んだものはガラクタ同然だ。以前は一部売り払っていたものの、今となってはそれもせずほとんどが倉庫に眠っている。
 東雲が怪盗になるのは、欲しい物があるからではない。普通なら手にできないものを手に取りたいからでもない。それはあくまで盗む過程を、演出を、あるいはストーリーを楽しむためだ。
 だから東雲は焦っていた。件の初老の男性が言う"鏡"に心当たりがないのである。だが、心当たりがないと言っても覚えていないだけだ。盗んでいないとも、盗んだとも言い切れない。
「調べてきたぞ」
「早いな、案外仕事はできんじゃねえか」
「当たり前だ、アンタの情報を盗んだのは俺だぞ」
「返り討ちにあっといてよく言うぜ」
 深海からファイルを貰い受け、東雲は早速それを開いた。この男を待っている時間の間に、注文していたオレンジジュースの氷はすべて溶け切ってしまった。
 ファイルの中には水守を訪ねてきた男性のことや、実際に鏡が存在していることを根拠付ける文章が羅列されている。
「……見覚えあるような、ないような。あーー!!わかんねえーー!!」
「色々調べたが、それらしいニュースなんかは出てこなかった。その爺さんがボケて捨てた可能性も捨て切れないな」
「だとしたらめちゃくちゃ迷惑じゃねえか!ただの濡れ衣じゃねえかよ!!」
「濡れ衣だと言い切れるのか?」
「いや……それは……言い切れない」
 現在、水守が初老の男性に連絡を取り、無くなった時期などの詳細を聞いてくれているらしい。だがまさか本当に自分が盗んだもののせいだとは思わないじゃないか。東雲は頭を抱えた。
「たかが鏡でここまでするかあ? 第一、そんなもん俺が盗むとは思えねえが……ああいやわかんねえ、なりたての頃は面白そうならなんでもよかったし……なんか意味わかんねえ人形の頭とかあるし……」
 一応、倉庫と化している部屋を漁ってみたものの、それらしき物は見つからなかった。水守から聞いた限り、その男性は相当怒っているらしいからハイ返しますで許してもらえるとも思えないが。
 そもそも覚えていないほど前に盗んだ物なら、今になって尚行方を追うほど、相当な執着と怒りがあるのだろう。
「で、どうするつもりだ。返すこともできないし、なんなら濡れ衣の可能性もあるんだろ。これ以上追うなと警告するか、それとも消すか」
「見た目のわりに物騒だなお前!?」
「一番合理的だろ」
 深海は表情ひとつ変えずにそう言うが、東雲はげんなりする。
「生い先短い爺さんにそんなことしたくねーよ。だけどまあ、そうだな。これ以上追われちゃこっちも迷惑だ。それこそお前みたいな奴が今後出てきて、また似たような目に遭うかもしれねえ」
 東雲は頭を掻きむしった。どうするのが一番いいのか、頭を使おうにもいろんな思考が邪魔をしてくる。
「おどろかしちゃうのは!?」
 ひょこり。テーブルの脇からリボンが生えてくる。なぜか左右に揺れているリボンは、楽しそうに踊っているようにも見えた。
「リボンが……動いてる」
「わたしのリボンは特別性なので!!動くし踊るし歌いますぞ!!」
「そうなのか、すごいな」
「おい、遊ぶのはいいけど向こう行っとけって言っただろ。明乃はどうした」
「ここにいるよ!!」
 ぴょこん、とリボンの横から跳ねた髪が生えてくる。別の席で間違い探しに勤しんでいたはずなのだが、どうせ見つける前に飽きたのだろう。
「脅すってことかあ? んな物騒なことしたらそれこそ警察沙汰だろうが」
「おどさないよ!おどろかすんだよ!」
「そうだよ宵一さん、脅すなんてしちゃいけないよう」
「何が違うんだよ!何が!!」
「そうだぞお、脅したりしたら爺さんびっくりして死んじまうかもしれねえよお?」
 続いてその横から、つるつるの丸い頭が生えてくる。と言っても、ほとんどテーブルの下に隠れきれず、浅野の顔は半分以上見えていた。
「いいんじゃないか?」
 深海が口を開く。
「こいつはもう追わない方がいい、と思わせればいいんだろう。やり方なんていくらでもあるんじゃないのか、アンタなら」
 言われて、東雲は考えた。
 確かにそうだ。追わない方がいいと思ってもらえたら、それでいいのだ。絶対に追わない方がいい何かだと、相手に思わせて―――……
「なるほどな」
「ねー!!ほらね!!なんせわたしは名探偵ですから!!」
「今更だが、探偵なのに怪盗とつるんでるのか」
「明乃ちゃんは怪盗である前にお友達ですから!!」
「そうなのか、なら問題ないな」
「いいかもな」
 雑談を遮るような独り言。
 東雲の表情は、最早怒りや疲れではなくなっていた。
 それはいつも通りだ。子供が悪だくみをして、いいことを思いついたときのような、あくどい笑み。
「悪くねえ、そうだ、俺ならいくらでもやり方がある」
 そう言った東雲の顔は、やはり悪党そのものなのだが―――……明乃と木野宮は、今から始まる何かに期待して、心底目を輝かせていた。