銀仕掛けの天球儀事件・回想 弐
「…………」
「君、本当に何を考えてるのかわかりやすいな?」
「アタシ今どんな顔してる?」
「すごく怒った顔」
「……でしょうね」
水守綾は呆れたような顔で呟いた。
密室の中で男と二人きり。
問題なのはその密室というのが、とある博物館のロッカーの中であることだ。
「もうちょっとマシな場所なかったわけ!?」
「いやあ、急だったから仕方ないじゃない」
「狭いし暗いし、ていうかこんなことして本当に大丈夫なんでしょうね!?」
「水守さん、もう少し静かにしないと――」
「…………」
「痛ッッ」
腹が立って足を踏んづけてやる。もちろんヒールの踵でだ。
「……まあまあ、後のことはなんとかするからさ」
「怪しいとは思ってたけど、いきなり犯罪スレスレのことさせられるとは思ってなかったわ」
「でも、これが成功したら君は一躍有名人だ」
「一度じゃ意味ないんだから喜べないわよ」
「そう言わずに……」
壱川が言葉を止める。釣られて口を閉じれば、遠くから近づいて来る足音が聞こえた。
「……来たな」
壱川がロッカーの壁に耳を近付けようと動く。そのたびに水守は壱川の体に押し潰されて、苛立ちが募っていくばかりだ。
こんな狭い場所に、他人と二人きりなんて信じられない。今すぐ殴りたい気持ちを抑えながら、なんとか体を逃がそうとする。
「よし、それじゃあ俺たちも行こうか」
過ぎ去っていく足音に隠れるように、壱川が耳打ちする。
「君の、晴れ舞台にさ」
猫猫事件帖 銀仕掛けの天球儀事件・回想 弐
「探偵?」
「そう、探偵。ドラマとかで見たことあるだろ?」
「ドラマも何も……」
喫茶店を出てすぐに、壱川は話し始めた。
水守は相変わらず怪訝そうな顔をしたまま、数年前までテレビで持て囃されていた男の顔を思い出す。
いや、正直よく思い出せない。テレビを見る習慣があまりないし、なんとなく雰囲気だけは覚えているのだが。確か彼の名は――
「なんとか宮……なんだっけ、前よくテレビに出てた人」
「ああ……」
壱川が自動販売機の前で立ち止まる。先程までコーヒーを飲んでいたのにと思っていると、彼は小銭を入れてからオレンジジュースのボタンを押した。
「木野宮さんだね、木野宮紀憲さん」
「そうそう!なんか怪盗を検挙しまくったーとかで、よくニュースになってたわよね」
「そうだな、俺もよく覚えてるよ」
オレンジジュースを手渡される。どうやら奢ってくれたらしい。
「座ろうか、別の店に行ってもいいけど……」
「怪しい人と室内に行きたくない」
「まあ、そうだよねえ」
笑いながら、先程水守がうなだれていた公園のベンチに腰掛ける。結局また振り出しに戻ったような気持ちで、水守はその隣に座った。
「で、その探偵がなんだってのよ」
「その探偵になって欲しいんだよ」
「……アタシに?」
「そう」
まったく意味がわからない。なぜ探偵にならなければいけないというのか。想像してみようにも、それらしい事情は一つも思い付かなかった。
「木野宮さんのことを知ってるってことは……まあ知らなくてもなんとなく、あの時のことは覚えてるよな?」
「まあ……あんまり詳しくないけど、興味なかったし」
水守が大学生になったばかりの頃だっただろうか。世の中は探偵と怪盗の対決にばかり注目されていて、ネットもテレビもそんな馬鹿らしい話題で溢れていた。
模倣犯は増え続け、探偵になろうとする者も増え続け……結果的に傷害事件に発展していたことくらいは知っている。
ワイドショーでは怪盗をバッシングする日と探偵をバッシングする日があって、言ってることがはちゃめちゃで付き合いきれなかった。
それも、稀代の探偵木野宮紀憲が引退を宣言したことで次第になかったことになってしまったのだが。
「あんなにみんな夢中だったのに、時間が経つと忘れるものよね」
「ブームなんてそういうものだろ?」
「そうだけど……その木野宮紀憲って人、なんで引退したのかしら」
「さあ、俺には見当も付かないよ」
「で、それとなんの関係があるのよ」
問い詰めるように顔を近付ける。壱川は物ともせずに笑顔で答えた。
「あんまり事情を話すつもりはなかったんだけど、君相手には悪手だろうな」
「頼み事するのに隠すつもり?」
「いや、その気も失せたよ。ただ、君には理解できないだろうし、他人事だと思ってくれていい。それから、今から聞くことは全部……」
「誰にも言わないわよ。言う価値ないもの」
「……聞く前から言う?」
ひとつ、大きく息を吸い込んで空を見上げる。その様子にごくりと唾を飲んだのは、少し面白そうだと期待してしまったからだとは認めたくない。
「俺は事情があって怪盗を守りたい」
「……」
「ああ、言葉が足りなかったな。逃がしたいって意味じゃないよ。なるべく穏便に……怪我をしたりしないようにって意味でね」
「そんなの警察でできるじゃない」
「それができなさそうだから困ってるんだよ」
壱川の眉が下がる。相変わらず口元には笑みが張り付いているが、別に嘘をついているわけではなさそうだ。
「前のブームのせいで、特に上の人たちは怪盗やってる連中に大激怒だ。そりゃそうだよな、探偵ばっかり持て囃されて、自分たちはテレビで無能呼ばわりされたんじゃ」
「ふうん、大変なのね」
「まあね。だけどまだ怪盗を名乗る連中は少なからず残ってるし、このままじゃ俺の目的は果たされない」
「そんなの自分でやればいいじゃない」
「ちょっとこの件に関しては目立ちたくなくてね」
「?どうしてよ」
「俺が元怪盗だから」
思考が停止する。何もかもが唐突すぎて、最早頭が追い付かない。
「はあ!?」
「彼らが傷付かないようにしたいのも、まあそういうこと」
「待って、アンタ元怪盗なのに刑事なの!?」
「まあね」
「日本は終わりだわ……」
「ははは、まあ俺が優秀だったってことで」
顔を覆った手の隙間から、壱川の横顔が見える。どこか諦めたような目をしているのは、気のせいだろうか。
「まあ、わかったわ。それでその怪盗を優しく逮捕したいけど、自分は目立ちたくないから……」
「裏で手を回して別の人に代役を頼みたい」
「…………なるほどね」
何もなるほどではないのだが。
正直こんな展開になるなんて思ってもいなかった。水守は空になったジュースの缶を手で弄びながら、壱川と同じように晴れた空を仰ぐ。
「で、本当にそれだけなんでしょうね」
「それだけって君ね」
「もう隠してることはないのかってこと」
「…………」
黙るということは、あるのだろうか。
水守はそれ以上問い詰めずに、あえて返事を待つ。
「後ろめたい気持ちはあるよ」
「どうしてよ」
「どうしてだろうな。色々考えて思い付いた方法が、またこんなことだったからかな」
「意味がわからないんだけど」
「まあまあ、君にしてほしいことは以上だ。もちろん謝礼はするし、君が探偵事務所を立ち上げてくれるならすべて俺が手配する」
「探偵事務所……」
「ワクワクしてきた?」
していない、といえば嘘になる。
怪盗だの探偵だのに興味がなかったのは、自分には関係のない世界だと思っていたからだ。実際どちらにもなりたいとは思わなかったし、そんな労力があるのなら勉強していい会社に就職したいと思っていた。
それが水守が思い描く「普通」であって、自分の身の丈に合った人生だったからだ。
しかし――
「……正直、就活にもウンザリしてたの」
「へえ」
「このまま卒業して、普通に働いて、つまんない毎日を過ごすのが当たり前だと思ってた。それを望んでたし、それが自分に合った人生だって」
「…………」
「でも真面目にしてたって結局内定貰えないし、何がダメなのか全然わかんないし」
「それは」
口を挟まれて、顔を横に向ける。
悪戯に笑う壱川という男は、ポケットから煙草と携帯灰皿を取り出していた。
「合ってなかったんじゃないか?普通ってやつが」
「乗せようったって無駄よ、自分で決めるから」
「それじゃあどうするんだ?こんな怪しい男に乗せられてみるか、それとももう一度普通に就活に励んでみる?」
「…………」
正直、考えるまでもなかった。
この男が怪しいことも、意味のわからない経歴に納得できないことも、すべて事実だ。
だが、そのすべてが現状を変えるかもしれない不確定要素であることに胸が躍っている。
「乗った!」
勢いよく立ち上がって、缶を握り潰す。
どうなろうと知ったこっちゃない。もうお祈りメールを見なくてもいいかもしれないのなら、そんなに嬉しいことはないのだ。
「いいわよ、やってやろうじゃない。ただしさっき言ったこと忘れないでよね。誓約書も書かせるから」
「いいのか?上手くいけば君は有名人になるし、危険なこともたくさんあるかもしれない」
「わかってて誘ったんでしょ?だったらアンタが守りなさいよ」
驚いたような顔で壱川は顔を上げる。水守はこれ以上ないほどに清々しい顔をしていた。
「まあ、アタシはアンタに守られるほど可愛くしてやれないわよ。それでもいいならよろしく」
今度は水守から手が差し伸べられる。壱川は迷わずにその手を取った。
「……それじゃあ、今日からビジネスパートナーだな」
握られた手に力を込めて、互いの視線をぶつけ合う。
水守は心の中で決めていた。
今後どんな展開が待っていようと、この男の思う通りにはさせない。
……なぜならそれが、一番気に食わない展開だからだ。
「それじゃあ、早速仕事に取り掛かろうか」
つづく!